人は見た目が100パーセントだなあと思った話
そんなタイトルのドラマも放送されていますが。
ブルゾンちえみのイケてない女役や、綺麗どころの桐谷美玲&水川あさみのコミカルな演技も面白いので、ついつい見ておりますが。
しかし今回はドラマの話ではない。
先日、神田沙也加が俳優の村田充との結婚を発表した。
そして本日、お二人のブログでハワイ挙式を行い正式に結婚したことが報告された。
本当におめでたいことなので、心から祝福したいと思う。
神田沙也加といえばもちろん、両親の存在が大きく話題になることが多いかと思う。
個人的には私は演劇ヲタクなので、ミュージカル女優・神田沙也加の方が馴染みがある。
とはいえ、実際に彼女の出演する作品を見たことはないのだが、来春再演が予定されている「1789 バスティーユの恋人たち」は観に行きたいと思っている。
本当は初演もチケットを取っていたのだが、体調不良や諸々で行けなくなってしまった……。
そして、お相手の村田充氏である。
彼についてはこの報道で初めて知った人が多いらしく、長髪にいっそ病的な雰囲気さえ感じさせる風貌に、「キモイ」「オカマなの?」「神田沙也加にはもっとふさわしいお相手がいるはず」「すぐに別れそう」などなど、散々なコメントが散見された。
実際にファンのコミュニティでは遊び人疑惑や薬物の噂などもあるらしく、あくまでも噂でしかないのだが、「この見た目ならありえる」と多くの人が信じてしまったようだ。
誰もが文句のないイケメンがお相手であったなら(それこそ前述の1789で共演した小池徹平など)、そんな意見は出てこなかったのではないだろうか。
私は村田氏のファンではないが、仮面ライダー響鬼でその存在を知り、仮面ライダーキバ出演時に雑誌のインタビューやイベント出演映像などでその人となりを知り、その後も時折TVドラマで見かけたり、気になる舞台に出演したりと、それなりに身近な存在だった。
仮面ライダーキバでは聖職者の衣装を身にまとい、早口で特徴のある台詞回しで、冷酷な悪役を演じていた。
彼の長身痩躯に聖職者の衣装と眼鏡が非常に格好良く似合い、教会でパイプオルガンを弾く姿などが印象的だった。
舞台作品でいえば「弱虫ペダル」の御堂筋や「おそ松さん」のイヤミ等、個性的な役での活躍が目立つ。
仮面ライダーファン、そしていわゆる2.5次元舞台のファンの間では、そこそこ有名な役者の一人だろう。
悪評はほとんど聞かず、個性的だけど愉快で気さくなお兄さん、というイメージが強い。
仮面ライダーキバのイベントの際、共演歴の長い松田賢二氏と悪ふざけし、年下の共演者にたしなめられる、という微笑ましいエピソードも懐かしい。
とにかく、私の中に村田氏へのマイナスイメージはなかった。
どうやら報道に使われた写真を撮影した際、村田氏は出演中の舞台のために髪を伸ばし、あのような個性的な髪型にしていたらしい。
髪が短ければ、好き嫌いは分かれそうだが普通に格好いいので、ここまで「気持ち悪い」という感想もなかったのかな、と思う。
お二人が挙式の報告のブログを公開し、神田沙也加ファンや無責任な外野たちも村田氏の真面目で誠実な人柄に触れ、次第に祝福ムードになっているようだ。
二人のドレスとタキシードの写真はまるで映画のワンシーンのようで、美しかった。
ツーショットのTシャツ姿はやっぱりちょっと髪型がなあ、と思ってしまったが(苦笑)
結局、人の第一印象というのは見た目で決まるのだ。
最初から挙式写真が出ていれば、外野の反応もまた違ったのかもしれない。
そんなことをふと思った。
私はキティラーである
私には男女の概念が欠落しているが、女性的な部分と男性的な部分を持ち合わせている。
中でも特に女性っぽいと感じる趣味嗜好のひとつが、ハローキティだ。
ご当地キティをはじめとするさまざまなキティグッズを買い集めており、マスコットやぬいぐるみだけでなく、日用雑貨などもハローキティ。
私はいわゆるキティラーである。
厳密に言えば、一番好きなサンリオキャラクターはチャーミーキティである。
ハローキティの飼い猫、というなんとも倒錯的な設定なのだが、擬人化されていないリアルな猫感がとても可愛い。
2004年頃に登場し、しばらく大々的にグッズ展開されていた。
しかし近年はチャーミーキティ単独のグッズは激減し、飼い主であるハローキティとのコラボが僅かに出るくらいである。
ちなみに毎年行われるサンリオの人気投票でも、チャーミーキティはギリギリ20位圏内くらいとなかなか微妙なポジションだ。
ところで、幼い頃の私はハローキティに全く興味がなかった。
小学生くらいの頃だろうか。
同級生の女子たちは、サンリオのキャラクターや少女漫画・アニメのヒロインなどのグッズをよく身に着けていた。
文房具などもキャラクターものである。
しかし私はといえば、特にキャラクターものにこだわりがなかった。
例外として記憶しているのが、魔法使いサリーの魔法のステッキ、そして秘密のアッコちゃんのコンパクトを親にねだり、買ってもらったことぐらいだろうか。
セーラームーンもちょうど世代だったのだが、未だにセーラームーンのグッズには興味がない。
私が少女っぽいものに興味を持ち始めたのは、中学生になった頃だった。
ピンクやフリルといったものを好み始めたのだが、同時に羽根や鎖といったものにも興味を持ち始めたので、どちらかというと中二病のゴスロリ趣味かもしれない。
しかし、私の持ち物にはピンクが増えた。
幼い頃からあえて避けていた色だったので、もしかしたらその反動だったのかなとも思う。
ハローキティのグッズとの出会いも、その頃だった。
当時、キティラーブームだったのでグッズが大量に店に出回っていた。
そのせいもあるのだろう、叔母にハローキティグッズをどっさりともらった。
叔母には娘がおらず、娘がいたらそういったものを買い与えたかったのだと話していたという。
私のことを娘のように可愛く思ってくれていたとも聞く。
叔母からプレゼントされた当時はそこまでキティグッズに興味がなく、実際に使うことは少なかった。
しかし全て大切に保管していた。
私が大学生になる少し前、叔母が亡くなった。
キティグッズは叔母の形見となった。
大学生になり、チャーミーキティに一目惚れしてグッズを買い集めるようになった。
サンリオショップにも行くようになり、ハローキティを目にする機会が増えた。
ライヴ等で遠征に行くことも増え、ご当地キティをお土産に買うようになった。
気付けばチャーミーキティだけではなく、ハローキティも好きになっていた。
サンリオピューロランドで結婚式を挙げることが夢だ。
同性婚も挙げることができるという。
パートナーは男性か女性か、それともそれ以外かはまだ分からない。
ウェディングドレスを着たいか、タキシードを着たいか、それもまだ分からない。
ただ、ハローキティに祝福してもらえる式が挙げられたらと思っている。
「Serendipity」はパクリなのか?
先日、倉木麻衣ちゃんの新譜を購入した。
こちらは、オリジナルアルバムとしては5年ぶりの作品となるそうだ。
麻衣ちゃんのアルバムには2ndの『Perfect Crime』以降、ほぼ全作にdoaの徳永氏が提供した楽曲が収録されていることもあり、出れば購入することが多い。
今回のアルバムには、既にCMのタイアップとして使用されていた「Serendipity」という楽曲が、約2年の時を経て初めてCDに収録された。
JR西日本のCMソングとして、耳にしたことのある人も多いかと思う。
ちなみにこの曲も作編曲を徳永氏が手掛けており、楽器の演奏やコーラスも彼が担当している。
そしてこの曲はCMに使われていた時期にデジタル配信されており、一部でオリビア・ニュートンジョンの「ザナドゥ」のパクリだと悪い意味で話題になっていた。
とりあえず、先入観なく2曲を聴いてみてほしい。
曲の構成や雰囲気が酷似していることに気付くはずだ。
しかし、これを安易に「パクリ」と断罪してしまうのはどうなのだろうか。
「パクリ」の定義に関しては、この記事が分かりやすくまとめてある。
これに当てはめると、「Serendipity」は「オマージュ」に近いのではないかと私は考える。
つまり、「ザナドゥ」をリスペクトの気持ちを持って意識して真似たのではないだろうか。
そう思う理由をいくつか挙げていく。
まずひとつに、「ザナドゥ」が全世界的に有名な曲である点。
有名すぎて、パクる必要性が見当たらない。
単なる盗用だとして、ここまで有名な曲を真似れば、パクリだと指摘されるのは必至だ。
真似て何のメリットもない。
「最近の若い子は知らないと思ってパクったのでは」という意見も見かけたが、私は倉木麻衣ちゃんと同世代だが知っているし、彼女の若いリスナーというのも大体同じくらいの世代が多い。
むしろ、倉木麻衣ちゃんのリスナー層は、彼女のデビュー当時20代だったとして現在40代以上のファンが多数派なのではないだろうか。
次に、徳永氏は楽曲製作の際、自分のリスペクトする名曲の要素を入れ込んだり、似たような雰囲気をイメージしたりすることが多々ある。
例えば、ZARDの「永遠」はEAGLESの「Hotel California」にインスパイアされた曲だと公言しているし、同じく「Hotel California」のサビに酷似したフレーズがdoaのデビュー曲「火ノ鳥のように」のBメロに出てくる。
あるいは、三枝夕夏 IN dbの「Whenever I think of you」はビーチボーイズ風のコーラスをふんだんに取り入れている。
その他、明言されることはなくとも、往年の名曲に似たようなフレーズやリフやコード進行、コーラスネタなどを確信犯的に使っていることが多い。
更に、世間でパクリと騒がれた曲が実際に版権元から訴えられる例というのは少ない。
もちろん、歌詞の酷似や大部分のメロディの一致などで訴訟になった例はある(槇原敬之が松本零士に訴えられた例*1など)
しかし、雰囲気が似ているからといって訴えられた例はないのではないだろうか。
著作権にはそれほど詳しくないが、コード進行やギターリフなどには著作権が認められるのは難しいらしい。*2
そもそも著作権が今の日本では親告罪である以上、第三者が断罪するのは余計なお世話という気がする。
おそらく今回の件は、最初から「この曲はザナドゥのオマージュ」と公表しておけばよかったのかなとも思う。
しかしオマージュなら、リスナーが各々でオマージュ元に気付くという方がより楽しんで聴けるのではないだろうか。
実は徳永氏はよくパクリ論争に巻き込まれる作家ではある。
確かに今回のように、聴き比べると非常によく似ている場合も多々ある。
ただ、彼のファンとして彼の音楽への向き合い方を知った上で感じるのは、原曲へのリスペクトなく似せていることはないということだ。
リスペクトがあればパクっても許されるかと言えばまた別問題のような気もするが、彼は自分が作曲家であることにこだわっており安易に盗用する人間ではないし、「似せようとした結果似すぎてしまった」というのが実のところかなと思う。
なんにせよ、「Serendipity」は流れるようなメロディに透き通った倉木麻衣ちゃんの声がマッチしていて、とても好きな曲である。
非バンギャがバンギャル手帳を入手してみた
年が明けても今年の手帳を買っていなかった私だが、今年も例年通りのキャラクターものにしようかとネットで探していてふとその存在を思い出したのが、バンギャル手帳である。
バンギャル手帳とは、バンギャ(=ビジュアル系バンドのファン)がファン活動するために便利な機能を盛り込んだ、まさにバンギャのための手帳だ。
さて、私は大好きなdoaというバンドを中心にライヴにはよく行くが、特に好きなビジュアル系バンドがいるわけではないので、厳密にはバンギャではない。
しかし、ライヴやコンサートに行く、という行為のみを切り取ってみれば、それはバンギャもそれ以外のアーティストのファンも同じではないかと思い当たった。
また、私は舞台観劇も趣味で、ライヴと同じようにチケットを取り、会場を調べ、交通手段を準備する。
そういう意味で、私にも使い勝手のいい手帳のような気がした。
店頭販売もされているようだが、取扱店舗が少なく遠いため、私は手っ取り早くヴィレッジヴァンガードの通販を利用した。
実際に届いたのがこちら。
バインダーは附属していないので、近所の文房具・事務用品店で購入。
そのバインダーいっぱいの厚みなので、なかなかのボリューム。
せっかくなのでバインダーのポケットにはFC会員証を入れ、ジップ付きの手帳に挟んで使えるビニールポケットに保管している現場で拾ったピックたちも装着してみた。
中身はまず、年間スケジュール。
大型遠征の予定などがあれば便利そうだが、特にそういう予定のない私は、気になるアーティストのツアー日程を記入してみた。
アーティストのスケジュールの把握が少し楽になる気がする。
また、好きな役者さんの舞台やミュージカルの公演日程なども同じように書き込めば、遠征の計画も立てやすくなるかもしれない。
そして、マンスリースケジュールだ。
これは普通の手帳と変わらないため、仕事やプライベート、通院などの予定も書き込める。
(※シールなどは付いていないので、他のダイアリーから流用している)
唯一特徴的なのは、上部にその月に結成された主なバンドの名前と結成年が列挙されている点だろう。
ただし全てビジュアル系バンドであり、現在は解散したバンドの名前もあるため、完全にバンギャ向けの情報だ。
次に、チケットと交通手段を管理するページ。
観劇にも流用できるかと試しに来月観劇予定のメサイア-暁乃刻-のチケットを書き込んでみた。
予約、支払い、引き取りなど、基本的にはライヴやコンサートと同じなので充分に使える。
ただ、1公演につき1往復交通手段の枠がセットになっているので、マチソワで見る時にはそこが無駄になってしまうのがもったいない気もする。
当日のスケジュールなどを確認するページ。
これもメサイア-暁乃刻-のものを書き込んでみた。
私は東京の地下鉄の乗り換えでいつも迷うので、こうして書いておくと当日の乗り換えが多少スムーズになるだろう。
この手帳を買って初めて知った言葉のひとつが、右ページにある「最前割」だ。
最前ドセン(最前列の真ん中)を基準として、左右に何人並べるかという人数を表したもので、「515」や「8:1:8」のように表記されるらしい。
この数字で会場の大体の横幅、また自分の整理番号だとどの位置を狙えるかが、把握しやすくなるとのこと。
サンシャイン劇場は最前列は22席なので実際にはドセンは存在しないが、とりあえず無理矢理「11:1:11」ということにしておいた。
その他にも取引管理ページ、日本白地図ページ、インストアイベント(フリーイベント)管理ページなど、ヲタライフに便利な機能がいくつもある。
使いこなせるかどうかはまだ分からないが、これが舞台観劇にも役立つのだとしたら、今度は舞台観劇に特化して進化した手帳が登場するかもしれない。
私が双極性障害と診断されるまで4
この続きである。
※時系列に少しミスがあったので訂正しました。
前回の話の通り、私は母と暮らすことになった。
家事は全て母がしてくれ、私は寝て起きてご飯を食べて、時折PCで色々遊ぶ。
とにかく「親のぬくもり」を傍に置いて安心できる環境を作ることが必要だと言われた。
その頃、カウンセリングのY先生の紹介で病院を代わり、少し離れたところにある心療内科のクリニックに通っていた。
電車で一時間ほどかかるため行くだけで疲れ、薬が切れても病院に行けないということもあった。
そうなると私は離脱症状に苦しみながら、病院に行くことになる。
またこの年は、自傷行為との戦いの年でもあった。
母は家中の刃物という刃物を全て隠した。
私はそれを何とか探し出し、風呂場で一人きりになった隙に自分を傷付けた。
翌朝傷を見付けた母が私を叱りながら手当てをし、改めて刃物を隠す。
しかし私もいざという時のために刃物を隠しておき、その隠し場所は絶対に教えなかった。
傷が塞がらずに病院で縫合処置を受けたことも一度や二度ではない。
最終的には左腕の皮膚がボロボロになり、このままではもう手首の皮膚がくっ付かなくなる、皮膚が薄すぎて次はもう縫うことができない、とまで言われた。
私も自傷行為が良いことだとは思っていなかったが、切らずにはいられなかった。
いけないと思いながらも、やめることができなかった。
休学期間が限界を迎えたため、翌年は復学することとなる。
母は実家に帰り、再び前の同居人との生活が始まった。
カウンセリングのせいもあってか意外と休むことも少なく大学に通うことができ、一年を通してある程度きちんと出席して単位が取れた唯一の年となった。
もちろん、学校に行けない時もあった。
自傷も続いていた。
うつが酷い時もあった。
はけ口は相変わらずmixiだった。
しかし、mixiはmixiで会う人、合わない人も出てきて、人間関係が徐々にめんどくさくなっていた。
それでもまだ、ブログに戻る気にはなれなかった。
その翌年、大学に入学して7年目のことである。
前期は休みがちながらなんとか通学していたが、徐々に休みが多くなっていた。
結果的に前期試験の当日学校に行くことができず、それがひとつの選択をするきっかけとなった。
退学である。
このままでは卒業に必要な単位を取得することができず、後期も通学できそうにないという判断からだった。
私が一番しがみ付いていたのは「大学卒業」だったので、仕方ない。
すぐに実家に帰ることもできたが、私が都会での生活に名残があったこともあり、引っ越しは春となった。
それまではライヴハウスに通おう、同人誌即売会にも参加しよう、そう決めていた。
結局は予定を半月ほど前倒しした翌年の2月の半ば、私は実家に帰った。
3月になって、それまで通っていた心療内科クリニックの紹介状を持って、市内の精神科(田舎の山奥にある病院である)に行った。
そこで私は今の主治医と初めて会うのだが、紹介状を目にして私の顔を見るなり、主治医はこう言った。
「あなたは躁鬱病なので」
寝耳に水だった。
クリニックの主治医には、うつ状態としか言われたことがなかった。
けれど後になって調べてみると、処方されていた薬には双極性障害の治療に使われる炭酸リチウムも含まれていたのだ。
結果として、私は双極性障害の患者として薬が処方されるようになった。
双極性障害として障害者手帳もいただいたし、双極性障害として障害年金も受給している。
診断名が「うつ状態」から「双極性障害」に変わるまで、実に7年かかったのだった。
しかし、主治医のこの見立ては最終的な結論ではなかったのだが、そのことに関しては改めて書きたいと思う。
結論から言うと、「私は厳密には双極性障害ではないかもしれない」ということである。