私が双極性障害と診断されるまで1
双極性障害に限らず、精神疾患というものは判断が非常に難しい。
私の場合、初めて心療内科で「うつ」と診断されてから精神科で「双極性障害」と診断されるまで、実に5~6年もの時間がかかっている。
もっとも、私の主治医*1からは、「あなたは病気ではないけれど、双極性障害によく似た症状が出ているので便宜的に病名を付けている」と言われている。
普通の状態を「5」、うつのどん底を「0」、躁のピークを「10」だとすると、確かに私の精神状態は0から5までの間を目まぐるしく移り変わっていることが多い。
ただ、感情の波が激しく、スイッチが入るといくらでも集中して一つの物事に取り組む、アイディアが湧き出して止まらなくなる……などの躁の特徴もあるにはある。
何より、双極性障害の治療に使われる向精神薬を処方され、一定の効き目が出ている。
なので、主治医による見立ての正否は今回、あまり深く考えないこととする。
さて、私にうつのような症状が現れ始めたのは中学の頃である。
思春期独特の精神的な不安定さかと思っていたが、今思うとそれにしては異常だった。
将来を悲観したり、生きる目的を見失ったり、家では自室にこもりきり、休日はずっと寝ている……そんなことが2、3年ほど続いた。
高校生になり、今思えば片想いしていた同性の友人と縁を切ったことからクラスで孤立*2したことがきっかけで、学校を休みがちになった。
高三の時、縁を切った彼女と同じクラスになったことから私は完全に不登校になり、保健室登校を経て何とかクラスに戻れるようになり、先生方のご好意もあり大学受験、高校卒業という目標を達成することができた。
このことについてはまた詳しく書こうと思う。
心機一転、私は大学生となった。
親元を離れ一人暮らしを始め、順風満帆に思えた。
しかしその年の冬、急に大学に行けなくなる。
気持ちが沈みがちで、家にこもりきり、徒歩数分のコンビニでカップ麺やおにぎりや菓子パンを買う以外はほとんど外出することがなくなった。
入浴することも億劫で、三日に一度、ひどい時は週に一度入ればいい方だった。
週に一度か二度コインランドリーに通っていたのも行けなくなったために洗濯物もたまり、替えのパンツもなく、洗面台で洗ってベランダに干して穿いたりもした。
そんな私の状態を見かねて親が私の家を訪ね、身の回りの片付けと掃除、洗濯、それから私を銭湯に連れて行き、心療内科の受診を勧めた。
高校の頃不登校だった時にカウンセラーを紹介してもらった医師を介し、大学に近い病院のカウンセラーと心療内科を紹介してもらった。
初めての心療内科。
「うつ症状」と診断された。
カウンセリングを中心に治療をしていこうと言われた。
心療内科医の診察は、毎回3分程度で終わる。
「食欲はあるか?」、「ちゃんと寝ているか?」、「妊娠はしていないか?」、この三つの質問に答えればおしまいだった。
最初は薬も出してもらっていなかったので、カウンセラーとの面談が私の治療のほぼ全てだった。
カウンセリングでは、色んなことをした。
バウムテストのような絵を描くこともしたし、箱庭も作った。
しかしその行為を通して私の心理状態を把握することが目的ではなく、私がその作業を通して心の中を整理するのが目的だったという。
昔の話もしたし、今興味のあること、好きなことの話もした。
しかし春になっても改善はなく、結局翌年は一年間休学することとなる。
ちょうどこの頃、一人暮らし生活に慣れた私はライヴに時折通うようになっていた。
学校には行けないけれど、ライヴには行ける。
矛盾しているように見えるかもしれないけれど、ライヴは私が唯一自発的に外出できる場だった。
例えば高熱で食べ物を受け付けない時、食事は摂れないけれどアイスやゼリーなら何とか喉を通る、みたいな感じといえば伝わるだろうか。
学校や買い物、病院、といった日常生活で出かけるべき場所が食事だとすれば、ライヴのような娯楽の場は喉を通りやすいアイスやゼリーなのである。
アイスやゼリーが食べられるならちゃんと白米を食べろ、というのは酷だ。
そう理解してほしい。
さて、休学が決まった私はひたすら家にこもって自分のできることをした。
大学に入ってから開設したアニメの二次創作小説サイトの更新、更に同人誌を作って即売会に参加する、時折コスプレ衣装も作ってコスプレもした。
また、TVをひたすら垂れ流していた。
深夜アニメや、ドキュメンタリー、それから教養番組が多かった。
ドキュメンタリーもそうだが、自分の知らない知識を得るという刺激が欲しかったのだと思う。
2ちゃんねるも見始めた。
当時は「半年ROMれ」を律儀に守り、最初は現行スレ、過去ログをひたすらROMった。
何故か都市伝説にも興味を持った。
都市伝説をまとめてあるサイトを片っ端から探し、口裂け女やテケテケなどから放送禁止となった伝説のお蔵入り放送などまで、とにかく読み漁った。
おかげで津山三十人殺しや狭山事件などにまで詳しくなってしまった。
元々音楽が好きだった私は持っているCDの感想を書き、それをブログで公開した。
当時はブログ全盛期で、音楽レビューやライヴレポを書いているブログが多数存在していた。
また、好きなアーティストも次々とブログを開設し始めたのもこの時期で、ブログを通じた交流も盛んだった。
そんな感じで私は引きこもりまっしぐらの生活を続けることとなった。
二週間に一度のカウンセリング以外は、相変わらずコンビニくらいしか外出しない。
出かけるといえば、ライヴか同人誌の即売会。
病状が一向に改善しないまま一年が経とうとしていた。
季節はいつしか秋になり、私は一つの決断をした。