檸檬栽培日記

オタク/腐女子/セクマイ/精神障害者/田舎在住の人間が好き勝手語ります。

私が双極性障害と診断されるまで2

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これの続きの話になる。

 

前回は、私が心療内科「うつ」と診断され、カウンセリング中心の治療をしながら、改善の兆しが見えないままに一年が経とうとするところまで書いた。

そして私がある決意をした、というところで終わっていたと思う。

その決意を、私は心療内科医に伝えた。

 

「薬物治療をしてください。薬を処方してください」

 

カウンセリングだけでは無理だと思い、薬物治療を頼んだのだ。

そろそろ病院にかかって一年が経とうというのに、そして春からは一応復学予定なのに、体調が改善しない。

最後の頼みの綱として、薬に頼ろうと思った。

 

最初は軽い抗うつ剤を処方された。

頓服や入眠剤も出してもらった気もするが、もう少し後だったかもしれない。

しかし、その抗うつ剤がどうにも身体に合わず、副作用で頭痛や気分の悪さなどが耐えられなかったため、すぐに打ち切りとなった。

結局、二週間ほどでカウンセリング中心の治療に戻った。

 

翌年の4月、私は大学に復学した。

一年遅れての二回生である。

年齢的には浪人生と同じなので、そこまで浮くことはなかった。

大学生活を堪能しようと、サークルにも入った。

授業は休みがちだったが、サークルにはなるべく顔を出すようにしていた。

ちなみに音楽好きが高じて音楽系のサークルだったが、割とゆるく、打ち上げだの親睦会だの飲み会が多かった。

サークルに入ったことで大学生活を本当に楽しめたし、夢見ていた青春を味わえた気がする。

しかし、授業には出られない日も続いた。

 

この年の秋、ゼミ担の教授が私と少し話をした。

教授にも引きこもりのお子さんがいるようで、私の状況にも理解があった。

今後どのような勉強がしたいか、将来どのような職業に就きたいか、色々話した。

教授は最終的に、私にこのような言葉をかけてくれた。

 

「あなたの歩みは人よりゆっくりなのかもしれない。ならば、人が4年かかって卒業するところを、8年かかって卒業しなさい」

 

これが私の目標となった。

 

 

さて、この年から私は新たなジャンルの同人サイトを開設し、そのサイトを通してできた友人との交流を始めた。

秋頃にはそれまで同人誌即売会といえばオンリーイベントにしか参加したことがなかったのだが、初めていわゆる赤ブー系のコミックシティに参加した。

これを機に、2、3ヶ月に一度定期的にコミックシティやスパコミに参加することになる。

当時のジャンルはまだジャンル人口も多く、個人主催のオンリーもあり、本もそこそこ売れた。

自己承認欲求を満たす意味では、非常に意義のある行為だったと思う。

 

また、音楽ブログの閲覧者、訪問者数も増えていた。

ネットの世界ではそこそこの有名人になりつつあった。

有名ブロガーさんと対等な立場でやり取りができることが、とても嬉しかった。

 

その一方で、現実世界では相変わらず学校に通えなくなっていた。

サークルにも、顔を出さないことが続くこともあった。

この年から同居人ができたため二部屋のアパートを引っ越し、家事の分担も始めたため、洗濯物がたまるとかゴミ出しが滞るとかいったことはなくなった。

買い物には行けないこともあったのでそういう時は同居人頼みであったが、私の分担である食事作りだけはなるべくこなしていた。

同居人に、学校に行かないことを咎められたり責められたりもした。

入浴の時間が遅い、台所を片付けない、などと迷惑かけたことも多々ある。

本当に申し訳なかったと思う。

 

 

そんなこんなで「うつ」と診断されて、3度目の冬がやって来た。

とりあえず翌年は進級し、三回生として大学に通うことになった。

 

しかしこの冬、私はこのあと数年間自分を苦しめることになるあることに手を出すことになる。

 

自傷行為である。

 

始めは剃刀でうっすら傷跡を付ける程度だった。

そこからだんだんエスカレートし、何度も何針も縫合されることになったり、傷跡を隠すためにリストバンドや長袖の上着が手放せなくなってしまった。

リスカ、アムカで満足できなくなった私は、太腿も傷付けた。

 

自傷行為に関しては、また改めて詳しく書こうと思う。

とにかく、自傷行為を始めた時期がこの頃だったことだけ書き記しておく。

 

 

大学三回生になった私は、比較的順調に学校に通い始めた。

もちろん休みがちではあるが、ギリギリ単位は取れるくらいのペースである。

しかしその数か月後、急転直下の出来事が起こる。

晒し被害だ。

私の音楽ブログが、暴言と共に2ちゃんねるに晒された。

このことで私は疑心暗鬼になり、周りの人間の目が怖くなり、完全に外出できなくなってしまった。

もちろん、学校は休み続けるしかなかった。

 

 

その後、私は病院を変え、本格的に薬物治療を始めることとなる。

時を同じくして、以前の記事で紹介したY先生のカウンセリングを受け始めた。

 

しかし私の症状は、どんどん悪化していくこととなる。