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檸檬栽培日記

ヲタクで腐女子でセクシャルマイノリティで双極性障害で田舎在住の人間が好き勝手語ります。doaというバンドが大好き。

私が双極性障害と診断されるまで3

双極性障害

今までの記事はこちら。

 

lemonymint.hatenadiary.jp

 

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前回は、ネット上での晒し行為により心が折れ、Y先生のカウンセリングを受け始めるところまで話した。

この時点で「うつ」と診断されてから約2年半が経っている。

4度目の冬がやって来ようというタイミングだった。

 

秋が終わり、冬が始まる頃、抗うつ剤とカウンセリングによる本格的な治療が始まった。

私はものすごく精神的に不安定だった。

ちょうどその頃に参戦したライヴでは、最初から最後まで終始泣きっぱなしという情緒不安定さだった。

 

しかし、冬が深まるにつれ抗うつ剤向精神薬の効き目が表れ始め、私は感情をなくした。

完全になくなったわけではないが、情緒の起伏が極めて平坦になった。

簡単に説明すれば、あまり笑わなくなった。

TVを見たりして、時折くすっと笑う程度である。

 

そして、自傷行為がどんどんとエスカレートした。

 

結果として、翌年はまた休学することとなった。

1回生→1年休学→2回生→1年休学、なので、休学が明ける頃は私が1回生の頃に同級生だった友人たちが、卒業した後ということになる。

焦りも悔しさもあった。

しかし、この状況ではそうせざるを得なかった。

 

時を前後して、私は派遣のバイトに登録をした。

学校に通えなくとも、趣味にはお金がかかる。

ならば、日払いのバイトでもしてみよう、という安易な動機だった。

大体1日か2日、あるいは研修の日も入れて3日間とか、そういう短期のバイトだけを受けた。

内容的には倉庫業務(検品、値付け、箱詰めなど)や、工場での手伝い、アンケート調査にビラ配り、交通量調査もやった。

そんなに頻繁に仕事の依頼が来るわけではないので、大体月1万~2万、もしくは全く仕事の来ない月もあった。

一般的な接客バイトなどとはかけ離れているが、様々な業種の色々な面を見て知ることができ、いい社会経験になったと今では思う。

オチとしては、登録していた派遣会社が問題を起こして廃業した某人材派遣会社の子会社だったため、時を同じくして私の登録も終了したということだろうか。

 

 

さて、派遣バイトと同人誌製作、ライヴ参戦に明け暮れる一年が始まった。

とはいえ、比重としては ライヴ>>>>>同人誌>>>>>>>>>>バイト くらいである。

 

おそらく、私が人生で一番ライヴに参戦した一年になったと思う。

月に2度はライヴハウスに通っていた記憶がある。

その他、ラジオの公開放送、インストアなどのフリーライヴにも頻繁に出かけた。

 

好きなことはできるのに、何で学校に行けないんだろうと自分を責めたりもした。

かろうじて食事作り等の家事は出来ていたが、部屋の片付けはほとんど出来ず、まるでゴミ屋敷のようだった。

自室だけは同居人とお互いに不干渉だったので、ひどくなっていくばかりであった。

 

その年の初夏、ネット上でとあるトラブルに見舞われ、うつ状態と疑心暗鬼が悪化し、学校にぱったりと通えなくなるということがあった。

ネット上で知り合った友人の中には私の見方をしてくれる者もいたが、匿名で私を攻撃してくる者がいるという恐怖に耐えきれなかった。

仕方なく一旦ブログの更新は停止し、当時ブームとなっていたmixiで限定的に日記を公開するようになった。

 

結局学校にはほとんど通えなくなったため、翌年は休学することとなった。

相変わらず自分の興味のあることしかできない状態ではあったが、大学のサークルに顔を出すなど、学校への恐怖感、拒絶感などはなくなっていた。

 

そしてその年の冬、私はとある事件を起こす。

自殺未遂だ。

 

きっかけはよく覚えていない。

とにかく精神的な落ち込みがひどく、更に季節的なものもあってか過去に好きだった友人と別れた時のことがフラッシュバックし、心が堪え切れられなくなった。

 

気が付いた時、私は実家にいた。

ぼんやりと、病院のベッドにいた記憶、父に支えられてふらふらしながら駅を歩く記憶はあった。

 

詳しく聞くと、同居人が帰宅した時、私は眠剤を大量に飲み、腕を血だらけにしていたらしい。

同居人は慌てて両親に連絡を取り、救急車を呼んだ。

もちろん緊急入院である。

幸いなことに当時住んでいた家からほど近い場所に救急病院があり、同居人は後から着替えなど必要なものを取りに帰ってくれた。

翌日、父が私を実家に連れて帰るために病院にやって来た。

大量に飲んだ薬のせいで意識は朦朧としていたが、傷も縫合し終わり、病院としては特に入院させる必要がないので実家で両親の目の届くところで静養するようにと言われた。

私はこの事件を、「強制送還事件」と呼んでいる。

 

それから約2ヶ月ほど、私は実家で過ごした。

春からは、もう一年休学することが決まった。

しかしバイトや同人誌即売会やライヴなど色々とあったのでずっと実家にいるわけにはいかず、Y先生にもすぐに会える方がいいとのことで、母と一緒に暮らすことを条件に大学の近くの家に戻る。

同居人と入れ替わりに、母と一緒に住むことになる。

 

 

大学に入学して6年目、うつと診断されてから5年目の春のことだった。