檸檬栽培日記

オタク/腐女子/セクマイ/精神障害者/田舎在住の人間が好き勝手語ります。

障害者雇用外で働く

menhera.jp

今回はこちらの記事を受けて、障害者雇用ではなく健常者と同じ条件で働いている精神障害者としての立場を書きたいと思う。

 

まず働き始めた時の私のスペックとしては、双極性障害障害者手帳2級、障害年金受給、大学自主退学で最終学歴は高卒、29歳独身、結婚妊娠の予定なし。

田舎なので高卒はザラだし、結婚妊娠の予定なしは長期で働く上では強みだ。

 

 

雇用されるまで

1.登録~先方からの連絡

職場は求人サイトで探した。

最初から働きたい業種も、具体的な職場の希望もあったので、求人サイトで求人しているのを確認してそこから登録した。

田舎の個人経営の企業である。

障害者雇用枠などないので、端から健常者として雇用されるつもりで申し込んだ。

 

翌日、担当者から連絡があった。

次の日に面接に来てほしいとのことだった。

持参する物は簡単な履歴書のみ、服装の指定はなかった。

 

2.履歴書と服装

履歴書には、ある程度本当のことを書いた。

というか、嘘は一言も書いていない。

大学の退学理由も「一身上の理由」で、空白期間も持病の療養期間ということにした。

 

私は就活を体験したことがないため、リクルートスーツを持っていない。

大学の入学式で着用したスーツのみであるが、少々古くサイズも合わない。

だからといって、さすがにニート丸出しのファッションセンスのかけらもない服装もアウトだろう。

結局、働きたい職場の雰囲気も考え、少々お洒落でふんわりしたいわゆる森ガールファッションをもう少し大人っぽくしたような服装で行くことにした。

 

3.面接

面接は電話で対応した担当の者とマンツーマンだった。

その際、担当の者が実は経営者本人だと初めて知った。

 

その職場は慢性的な人手不足だったようで、面接は形式的なものだということはすぐに分かった。

何度かバイトの面接を受けたこともあるが、この職場は動機や意気込みといったものよりも、雇用された後の条件面に関する話に多くの時間を割いた。

 

こちらが出した条件としては、

  • 持病があるので月2回程度病院に通院させてほしいこと
  • まずは週3回のシフトにしてほしいこと*1
  • 面接を受けた段階で予定*2が入っている日は休ませてほしいこと

くらいである。

また、持病があるので疲れやすかったり体調を崩したりすることがあるかもしれない、と最初から予防線を張っておいた。

 

4.雇用決定

結果的に私は面接に合格ということで、登録した日から数えると約2週間で働き始めた。

雇用形態はパートタイマーである。

その職場では正社員と学生バイト以外は全てパートという扱いだった。

 

働き始めて

体調面

その当時はある程度精神的には落ち着いていたが、やはり朝起きられないことや、家からなかなか出られないことがあった。

何度か遅刻を繰り返してしまい、社会人として、ギリギリの出勤や遅刻はよろしくない、と早速厳しく叱られた。

 

肉体的にもなかなか厳しい職種で、ずっとほぼ寝たきりだった私の肘や膝など身体のあちこちが悲鳴を上げた。

しかし、数ヶ月が過ぎる頃には長時間立ちっぱなしだったりずっと歩き回ることが、苦ではなくなるくらいに脚力が付いていた。

 

困ったこと

社会人経験が短期バイトくらいしかないため、最初は挨拶のタイミングやなんと声をかけていいかもよく分からず、何度か注意された。

人見知りではないが、初めての場所で知らないスタッフと共に働くことに対する緊張もあったと思う。

緊張から、最初の頃は作業自体に落ち着きがないということもあった。

 

また、他人と会話をすることがほとんどない生活を続けていたため、他のスタッフの指示に対して返事をする時など、思わずどもってしまったり、咄嗟になんと返せばいいか分からず言葉が出ないことがあった。

独り言も多かった気がする。

 

障害者雇用外で働くメリット・デメリット

このような経緯で、私は今の職場でパートとして働いて数年が経った。

前出の記事に書かれている障害者雇用で働くメリット・デメリットと比較しながら、私の体験上のメリット・デメリットを考えてみたい。

 

障害者雇用のメリット

休みや早退に寛容

私の職場はシフト制なので、ある程度は寛容である。

病院の予約が入った日はシフトをずらすなどしてもらえる。

しかし急な休みは人手不足に繋がるため、当日急に休むことは極力避けなければならない。

 

繁忙期に関しては、基本的に休みなどの希望は通らない。

 

責任感のある仕事はやらされない

新人の教育や納品の領収書へのサインはパートやバイトでも任されるが、具体的な商品案や改善案などは出すことができない。

責任感のある仕事は、基本的に正社員だけである。

 

多少のミスは許される

許される場合もあるが、ミスの大小にもよる。

また、相手のある職種であるので、いくら小さなミスでも相手方が気分を害したり怒ってしまったりした場合は、上司に厳しく叱られることになる。

 

人事部の人が気にかけてくれる

人事部がないので割愛。

 

面接のとき職歴の空白は「治療に専念していました」で通じる

私には精神障害の他にも持病があるため、この言い訳を利用することができた。

この辺りは雇用主によると思う。

 

障害者雇用のデメリット

賃金が安い

私の職場は業界として賃金が安いので、障害者雇用云々は関係なく安い。

最初は最低賃金ギリギリだった。

 

雇用形態が安定していない(ほとんどが契約社員

私もパートという形で働いているが、正社員が何人か退職した時他のスタッフから「正社員になれば」と勧められたこともある。

実際、シフト制ではあるが実質的な労働日数はほぼ正社員と同じくらいという時期もあった。

しかし結局、体力も精神の不安定さも正社員の激務に耐えられるとは思えないので、賃金は安いがこのままでいいと思っている。

 

昇給がないところが多い

雇用されて1年経った頃、昇給した。

時給20円アップである。

それ以降は体調を崩し休職した時期もあるため、ずっと現状維持のままだ。

 

人並みに働けていないことに劣等感が湧く

これは逆に言うと、障害者雇用外で働く上での一番のメリットかもしれない。

実力重視なので、健康な他のパートと分け隔てなく仕事を任せられる。

ひとつ仕事を覚えれば、また次の仕事を教えられる、という感じだ。

職場で頼りにされている、社会の役に立っている、と実感できる部分である。

 

やりがいがない

これも職場によるのではないかと思う。

現代の日本社会で、やりがいを感じられない職場など山ほどあると言っても過言ではない。

私の場合は、最初は働いた対価を得られることでやりがいを感じていた。

しかし、次第に自分の仕事に対して受け手の反応を見ることができないため、モチベーションが上がらなくなってしまった。

元々、黙々と一つの単純な作業を繰り返すような仕事に向いていないのだ。

 

 

結論

雇用主や職種によるのではないだろうか。

 

障害者雇用で働くことのメリット・デメリットがそのまま障害者雇用外で働くことのデメリット・メリットになるわけではないと思う。

私の場合は精神的な不調にもある程度理解のある経営者に恵まれたため、自律神経の乱れと軽いうつ症状、ということで二度ほど長期休暇をいただいている。

体調が優れず、当日休んだり遅刻したりすることにも、繁忙期を除けば寛容だ。

もっとも、症状が悪化したのは職場のストレスが原因のひとつでもあるのだが。

 

今の時代、転職も恥ではないと思う。

障害者雇用を利用したり利用しなかったり、色々試してみて、自分に合った働き方や職場を見付けることが大事なのかもしれない。

*1:過去に短期バイトしか経験したことがなく、長期の連勤にはおそらく耐えられないだろうとの思いから

*2:ライヴや同人誌即売会

BLにおける受け攻めとジェンダー

私はヲタクで、腐女子でもある。

腐女子というのはBL、つまりボーイズラブと呼ばれる男性同士の恋愛を好む女性の総称だ。

ついでに言えばGL(ガールズラブ)と呼ばれる女性同士の恋愛も好きだし、NL(ノーマルラブ、ノンケラブ)と呼ばれる男女の恋愛も好きだが、中でもBLが一番好きでよく読むし自分でも書いたりする。

 

さて、そんなBLの世界には、GLやNLの世界にはあまりない「受け」と「攻め」という概念が存在する。

簡単に言えば性行為の際、挿入されるのが「受け」で、挿入するのが「攻め」だ。

ゲイ用語でいうところのネコとタチと大体同じ意味である。

GLの場合は挿入を伴わない場合が多いので基本的に受け攻めの概念はないし、NLだと男が攻めで女が受けであることが大半なのでそこを気にすることもないかと思う。

しかし、BLにおける受け攻め問題というのは、戦争が起きるくらいの問題なのだ。

特に受け攻め固定カプ過激派*1と、リバ派*2や雑食派*3の間には、深くて広い川が横たわっているといっていい。

 

そんな受け攻め議論にもキリがないが、私は時折、BLを読んでいて、受けに女性的なものを、攻めに男性的なものを求めていることに違和感を覚えることがある。

現実にゲイの知人がいるわけではないので、ここではBLをファンタジーとして論じさせてほしい。

 

何故、性別というものを超越した同性愛の関係に、ジェンダーを押し付けてしまうのだろう。

もちろん、受けと攻めというのはどちらが突っ込んでる方が萌えるとか、どちらが突っ込まれて喘いでるのが萌えるとか、そういう好みがあるのは分かる。

けれど、それ以外の場面で攻めに男性の役割を、受けに女性の役割を求める必要はないのではないだろうか。

 

具体的には、以下のような場面だ。

 

  • 攻めが大柄で力持ち、受けが小柄で非力
  • 攻めがかっこいい系の顔立ち、受けが可愛い女性的な顔立ち
  • 攻めの方が社会的地位が上
  • 同棲をしている場合、受けが家事を担当する
  • 女装をするのは受け
  • 攻めが年上、受けが年下
  • 攻めは手先が不器用、受けは料理が得意

等等等……。

 

このような設定を付けるなら、もはや男性同士である必要はないのではないだろうか。

男女でもいいのではないか。

そう、思ってしまう。

 

ちなみに私は天邪鬼だからか、年下攻め、背の高い方が受け、攻めの女装、などといった設定が大好物だったりする。

もちろん、この辺は個々の好みもあると思う。

 

受けが料理が下手でもいいじゃない。

攻めがフリーター、受けが社長とかでもいいじゃない。

可愛い趣味があるのが攻めでもいいじゃない。

 

 

そして、個人的に一番もやっとするのがこれだ。

 

「俺(攻め)がお前(受け)を幸せにする」

 

お前ら男同士だろうが。

何で平等じゃないんだよ。

 

個人的にはこれ、男女のプロポーズなどでも最高にもやもやするフレーズだったりする。

男が女を養うことが前提になっているように聞こえるのだが、女の方が稼ぎが良かったり社会的地位があったりパーフェクトウーマンだったりしないのだろうか。

しかし世の女性たちにとっては、この一言が男性の甲斐性を表しているようで、この一言がなければプロポーズに納得できないらしい。

女性ってそんなに受け身一報なんですか?

 

私がもしプロポーズすることがあるなら、されることがあるなら、この言葉を使いたいと思う。

 

「二人で一緒に、幸せになろう」

*1:自分の好きな二人の受け攻めは固定でそれ以外は許さないタイプ

*2:時と場合によって受け攻めが逆になるのもいけるタイプ

*3:どういう組み合わせでも何でも美味しくいただけるタイプ

私が双極性障害と診断されるまで4

過去記事はこちら。

 

lemonymint.hatenadiary.jp

 

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前回はうつと診断されてから4年経ち、大学を休学して母と同居することになったところまで書いた。

 

 

実は、母と同居するようになるまでには、一つの事件があった。

パニック発作だ。

実は今までにも、ストレスや緊張を感じることで動悸が激しくなったり、呼吸が苦しくなったり、とてつもない不安感に襲われたりすることが何度かあった。

元々緊張しやすい性格だったので、あまり気に留めていなかったのだが、この時は家からも実家からも遠く離れた場所で起きてしまった。

 

その日、私はライヴツアーの地方公演に参加するため、遠方に来ていた。

前日地方公演に参戦し、その日は観光などをしていた。

強制送還事件のこともあり、一人で行かせるのは不安という母とは、翌日東京で合流して東京公演に共に参戦する約束になっていた。

しかし、一人で観光をしている途中に急に体調を崩したのだ。

不安感、そして動悸と息苦しさ。

翌日まで一人でいることは無理だと判断した私は、母にヘルプの電話をした。

そしてその日のうちに東京に移動し、先に東京に来ていた母と合流した。

ホテルに無理を言ってツインの部屋に変えてもらい、一泊し、予定通り翌日のライヴに参戦して帰宅した。

 

その一連のことをY先生に話したところ、しばらく母と一緒にいるのがいいと提案された。

当時の私は、ちょっとしたことで不安になり、気持ちが落ち着かなかったのだ。

 

 

母と同居することになり、私はほぼ上げ膳据え膳状態で寝たきりに近い生活になった。

昼頃まで眠り、昼ドラやワイドショーを見ながら昼食を摂り、漫画や雑誌を読み、夕飯を食べ、深夜までネットをして就寝。

そんな毎日を繰り返した。

 

母にはものすごく気を遣わせたと思う。

買い物などで家を空けている間に私が目を覚ましてはいけないので、なるべく朝早く買い物に行ったり、家事も私を起こさないよう静かにしなければならなかったり、深夜まで起きている私のせいで満足に眠れなかったり……。

今思うと、感謝の気持ちしかない。

 

 

そんな生活が、一年近く続いただろうか。

私は、時折一人で外出できるまでに回復した。

家で一人で過ごしていても、不安を感じることがなくなった。

 

結局冬が来る頃には母は実家に帰り、とりあえず私は翌年から大学に復帰することになった。

1回生→1年休学→2回生→1年休学→3回生→1年休学→4回生、となるので、学年は4回生だが在籍は7年目となる。

大学には最大8年しか在籍できないので、あと2年以内で何とか卒業しなければならない。

そのためには、単位も出席日数もかなりぎりぎりだった。

 

結局その年は、大学に入学してからの7年間の中では、最もまともに授業に出ることができた一年だったように思う。

1回生の時は授業に出られなくなったのは12月以降だが、結局後期の試験を受けることができなかったため単位を落としている。

この時は休みがちな授業もあったとはいえ、試験はきちんと全部受け、レポートもちゃんと提出した。

もちろん点数が悪く落としてしまった単位もあるが、あと一年、何とかまともに大学に通うことができれば卒業に手が届く、という状況だった。

 

 

しかし結局、大学8年目の5回生となる翌年が、私の人生の大きなターニングポイントとなった。

つまり、大学を自主退学することになったのだ。

「女子やめたい」って、何になりたいの?

女子力の高い男性が増えている。

というか、正しくは女子力の高い一面をピックアップされる機会が増えたということだろうか。

料理など家事が得意だったり、美容やファッションへの余念がなかったり、可愛いものに対して敏感だったり。

もしくは女装してみたり。

男性芸能人のそういう面が、TVやブログなどで披露されている。

 

それに対して、女性からのこんな意見をよく見る。

 

「女子として負けた」

 

「女子やめたい」

 

「女子として負ける」ってどういうことなんだろう?

間違いなく、生物学的にあなたは女性ですよ。

相手は生物学的に男性なんですよ。

圧倒的にあなたの方が女子なんです。

 

「女子やめたい」ってどういう意味なんだろう?

やめたい、と言って簡単にやめられるものなら、トランスやXの人たちはこんなに悩んだり苦しんだりしてないと思う。

それに、女子をやめて何になるつもりなのか。

まさか男性になろうというのか?

 

おそらく、そのような発言は軽い気持ちで発されていると思う。

けれど、普段から自分の性別に違和感を持っている私のような人間にとっては大きな違和感があり、神経を逆撫でしてしまう言葉なのだ。

 

そもそも「女子力」って何なの?

初めて女の子に恋をした話

私は「女性」として生を受けた。

しかし、幼い頃から性別の壁がとてつもなく苦痛で、何とかそれをぶち壊したいと思っていた。

それなのに、私が入学したのは中高一貫の女子校だった。

地元では進学校として知られていたので、勉強ができれば女子校だろうが共学だろうが構わないと思っていた。

 

 

私は「女性」として育てられた。

小学生の頃は「女子」として扱われたし、「女子」のグループと一緒に遊んだり下校したりすることが多かった。

やがておませな子たちは「好きな人」の話をしたがるようになり、「好きな人教えて。誰にも内緒にするから」と幾度も聞かれた。

私は「女性」は「男性」を好きになるのが自然なのだと思い、ほんの少し「かっこいいな」、「優しいな」、「一緒にいて楽しいな」と思う男子のことを「好きな人」として話した。

 

今思うとそれは確かに「好きな人」だったのだろうが、本当に「恋」だったのだろうか。

小学生の幼い恋、と思えばそれはそれで間違いではないような気もするが。

 

 

私は「女性」として女子校に進学した。

そこで出会ったのが、私が後に好きになることになる女の子、仮に「Aちゃん」と呼ぶことにしよう。

Aちゃんとは同じクラスで、入学直後のオリエンテーションでも同じグループだった。

それぞれ違う小学校から進学していたため、そのグループがそのままクラスでの仲良しグループになった。

 

中2、中3はAちゃんとは別のクラスだった。

始業前、休憩時間、終業後がAちゃんと過ごせる時間だった。

基本的には中学入学直後の仲良しグループの5人で過ごすことが多かったが、次第に私はAちゃんと過ごすことが多くなった。

単純に、共通の話題が増えたためだ。

グループ全員がいわゆるヲタクで好きなジャンルも少しずつ被っていたが、音楽が好きで主に小説を書くのは私とAちゃんだった。

 

Aちゃんはとても頭がいい子だった。

もちろん進学校なので飛び抜けて成績がいいわけではなかったが、勉強以外の雑学や時事問題といった学校では習わないことも詳しかった。

私も雑学や時事問題には興味があったので、非常に話が合った。

可愛いかどうかといえば……まあ、普通だと思う。

しかし、身長がすらりと高く、スタイルがよかった。

とにかく、一緒にいる時間がとても楽しい子だった。

 

いつしか私は少しでも早くAちゃんに会いたくて、学校に少し早く登校するようになった。

毎晩、Aちゃんに手紙を書いた。*1

授業中にも手紙を書いた。*2

連休ともなれば、家の電話で長電話をして家族に怒られた。*3

少し依存しすぎているような気はしたが、それでも行き過ぎた友情だと思っていた。

 

私が、恋している自覚をしたのはおそらく、高校1年生になった初日だった。

私の学校では中学生と高校生では制服のデザインが少し違い、初めて高校生の制服を着たAちゃんを見て、ときめいてしまったのだ。

大人っぽくてかっこよくて、きゅんとしてしまった。

 

 

その後、色々とあって徐々に擦れ違い、私たちは縁を切ることになる。

当時はAちゃんのことを恨みもした。

未練もあった。

けれど今は、彼女が元気で幸せでいればそれでいいかな、と思っている。

*1:当時の中学生はメールできる手段がほぼなかった

*2:学校に携帯電話を持って行くことなどもっての外だった

*3:個人の携帯を持っている中学生は稀だった