檸檬栽培日記

ヲタクで腐女子でセクシャルマイノリティで双極性障害で田舎在住の人間が好き勝手語ります。doaというバンドが大好き。

私が双極性障害と診断されるまで4

この続きである。

 

lemonymint.hatenadiary.jp

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※時系列に少しミスがあったので訂正しました。

 

 

前回の話の通り、私は母と暮らすことになった。

家事は全て母がしてくれ、私は寝て起きてご飯を食べて、時折PCで色々遊ぶ。

とにかく「親のぬくもり」を傍に置いて安心できる環境を作ることが必要だと言われた。

 

その頃、カウンセリングのY先生の紹介で病院を代わり、少し離れたところにある心療内科のクリニックに通っていた。

電車で一時間ほどかかるため行くだけで疲れ、薬が切れても病院に行けないということもあった。

そうなると私は離脱症状に苦しみながら、病院に行くことになる。

 

またこの年は、自傷行為との戦いの年でもあった。

母は家中の刃物という刃物を全て隠した。

私はそれを何とか探し出し、風呂場で一人きりになった隙に自分を傷付けた。

翌朝傷を見付けた母が私を叱りながら手当てをし、改めて刃物を隠す。

しかし私もいざという時のために刃物を隠しておき、その隠し場所は絶対に教えなかった。

傷が塞がらずに病院で縫合処置を受けたことも一度や二度ではない。

最終的には左腕の皮膚がボロボロになり、このままではもう手首の皮膚がくっ付かなくなる、皮膚が薄すぎて次はもう縫うことができない、とまで言われた。

私も自傷行為が良いことだとは思っていなかったが、切らずにはいられなかった。

いけないと思いながらも、やめることができなかった。

 

 

休学期間が限界を迎えたため、翌年は復学することとなる。

母は実家に帰り、再び前の同居人との生活が始まった。

カウンセリングのせいもあってか意外と休むことも少なく大学に通うことができ、一年を通してある程度きちんと出席して単位が取れた唯一の年となった。

 

もちろん、学校に行けない時もあった。

自傷も続いていた。

うつが酷い時もあった。

はけ口は相変わらずmixiだった。

しかし、miximixiで会う人、合わない人も出てきて、人間関係が徐々にめんどくさくなっていた。

それでもまだ、ブログに戻る気にはなれなかった。

 

 

その翌年、大学に入学して7年目のことである。

前期は休みがちながらなんとか通学していたが、徐々に休みが多くなっていた。

結果的に前期試験の当日学校に行くことができず、それがひとつの選択をするきっかけとなった。

 

退学である。

 

このままでは卒業に必要な単位を取得することができず、後期も通学できそうにないという判断からだった。

私が一番しがみ付いていたのは「大学卒業」だったので、仕方ない。

 

すぐに実家に帰ることもできたが、私が都会での生活に名残があったこともあり、引っ越しは春となった。

それまではライヴハウスに通おう、同人誌即売会にも参加しよう、そう決めていた。

 

結局は予定を半月ほど前倒しした翌年の2月の半ば、私は実家に帰った。

 

3月になって、それまで通っていた心療内科クリニックの紹介状を持って、市内の精神科(田舎の山奥にある病院である)に行った。

そこで私は今の主治医と初めて会うのだが、紹介状を目にして私の顔を見るなり、主治医はこう言った。

 

「あなたは躁鬱病なので」

 

寝耳に水だった。

クリニックの主治医には、うつ状態としか言われたことがなかった。

けれど後になって調べてみると、処方されていた薬には双極性障害の治療に使われる炭酸リチウムも含まれていたのだ。

 

結果として、私は双極性障害の患者として薬が処方されるようになった。

双極性障害として障害者手帳もいただいたし、双極性障害として障害年金も受給している。

 

診断名が「うつ状態」から「双極性障害」に変わるまで、実に7年かかったのだった。

 

 

 

 

しかし、主治医のこの見立ては最終的な結論ではなかったのだが、そのことに関しては改めて書きたいと思う。

結論から言うと、「私は厳密には双極性障害ではないかもしれない」ということである。

「同性愛を気持ち悪いと言う権利」とは?

先日、この記事をニコニコニュースにて見かけた。

 

www.bengo4.com

 

ニコニコニュースのコメント欄というのは、どういうわけかLGBTや同性愛者に対する批判や偏見が多い。

いわゆる“淫夢”ネタで盛り上がる“淫夢厨”が集まる場なので、当然といえば当然かもしれない。

(なお、私は“淫夢厨”は同性愛を玩具にして面白がるホモフォビアだと思っている)

この記事にもやはり、同性愛者に対して差別的なコメントをいくつも見かけた。

 

特に多かったのは、

「同性愛者を気持ち悪いと言う権利はないのか」

というものだった。

 

確かに、日本は憲法表現の自由を保障されている。

しかし我々は幼い頃から「他者を傷付けたり不快にさせたりしない」という社会のルールやモラルを学んでいるはずだ。

ニコニコ運営も、「表現の自由は他社を傷つけて良い権利ではない」とのガイドラインを示している

netatopi.jp

 

 

ところで、論点は少しずれるがこのような意見を見かけた。

 

自分がマイノリティでありその権利を認めてもらいたいのであれば、他社のあらゆる多様性も認めるべきではないか。

 

これは少し違うのではないか、と私は思う。

先の話を例とすれば、「同性愛である」ことがマイノリティであると同時に、「同性愛者を気持ち悪いと発言する人」もある種のマイノリティ、多様性である。

つまり、同性愛者の権利を求めるなら、同性愛者を気持ち悪いと発言する人の存在も認めろということになる。

何故、自分に対して差別的な者の権利を認めなければならないのだろう。

 

あるいは多様性の中には、自分の主義や主張、自分の中の正義と相反するものもある。

カルト宗教などその代表ではないだろうか。

イムリーな話をすればトランプ新大統領の政策やその支持者も、ある種の多様性のひとつと言えると思う。

 

発言者がどのような意図でその発言をしたのかは分からないが、私には「マイノリティの権利を主張すること」と、「全ての多様性を認めること」はイコールであるとは思えない。

 

 

どちらにせよ、他人を傷付けることが権利になどなり得ないし、それを認める義務も義理もない。

歌詞から見る男女の結婚観

今回比較したい2曲

女性側:「Dear Bride」(西野カナ

歌詞はこちら。

www.uta-net.com

 

楽曲購入はこちら

Dear Bride(通常盤)

Dear Bride(通常盤)

 

 

男性側:「Dear Friend」(DEEN

歌詞はこちら。

www.uta-net.com

 

楽曲購入はこちら。

Another Side Memories~Precious Best II~(通常盤)

Another Side Memories~Precious Best II~(通常盤)

 

 先月リリースされたC/W曲のBEST盤。

 

Celebrate

Celebrate

 

 本来はこちらの2曲目に収録。

 

比較するに至った経緯

その1.年末の音楽番組

最近の流行の音楽にはめっきり疎くなってしまった私だが、何組か気になるミュージシャンも出演するということで、年末に放送された長時間の音楽番組をいくつか見た。

放送時間が長く、好きなミュージシャンがいつ出るか分からないので結局番組を最初から最後まで見てしまうようなあれだ。

その番組の中で歌われた一曲が、前述の「Dear Bride」だった。

 

歌詞を聞いた瞬間、何とも言えない拒絶感が芽生えた。

 

最近の20代、もしくは中高生や大学生の女の子たちはこれに共感するのか……と、少し年齢が上の私は感じた。

同時に、性自認がはっきりと女性ではない私は、「女の子の気持ちの代弁者」とも言われる西野カナの歌詞に、「これが代表的な女性の意見なら、女の気持ちなんて分かりたくねえ!!」と思わずにはいられなかった。

 

その2.B面BESTとカウントダウンライヴ

私はここ数年、DEENのカウントダウンライヴで年を越すのが恒例となっている。

今回のライヴはシングルA面やヒット曲、ライヴの定番曲は一切やらず、普段日の当たらないような曲ばかりを集めた“マニアックナイト”と題され、それに先駆けていわゆるB面BESTがリリースされていた。

そのB面BEST収録曲からの選曲として披露されたのが、「Dear Friend」だった。

「Dear Bride」と微妙にタイトルも似ているし、どちらも友人の結婚を祝福する曲である。

 

それまでサビの歌詞くらいしか気に掛けていなかったが、歌詞の全体像を改めて認識して私は驚いた。

男性視点だと、こんなにも表現に差が出るものなのか。

もちろん、西野カナ氏が現在20代、「Dear Friend」の歌詞を手掛けた頃のDEENの池森氏が40代前半だったという年齢差もあるかもしれない。

けれど、男女の結婚観の違いを考察するには充分なサンプルではないかと思った。

 

それでは比較してみよう

男女の夢

女性の場合

たくさんの愛に包まれて

大きな夢を今

この場所で叶える君を

心から誇りに思うよ

どうやら「夢」=「結婚」ということらしい。

確かに小さな頃は「将来の夢はお嫁さん」という女の子は一定数いるし、年頃になれば結婚願望を抱くのも普通のことである。

しかし、「結婚」という夢を叶えるということは、友人として心から誇りに思うようなことなのだろうか。

例えば就きたい職業に就いた場合、本当の意味で「夢を叶えた」と言えるかもしれない。

けれど、結婚は当たり前のことながら目標ではあってもゴールではない。

言ってみれば、「婚姻届けを提出した」、「結婚式を挙げた」というだけのことで、相手がいてお金があればそれほど苦労することもなくできることなのではないだろうか。

昔流行った成田離婚のように新婚旅行直後に離婚するかもしれないし、離婚とまではいかなくとも仮面夫婦だったり、家内別居、完全な別居もありえる。

逆に考えてみると、友人として誇りに思えるような、大きな夢を叶えたといえるような結婚は、女性が専業主婦になることを夢見ていた場合、もしくは玉の輿に乗ることが夢だった場合くらいではないだろうか。

 

それにしても、女性の夢=結婚、女性の人生のゴール=結婚、という考え方は男尊女卑が横行していた前時代的ではないだろうか。

20代の恋する女性は結婚がゴールだと思うかもしれないが、今は女性も社会で羽ばたける時代だ。

結婚の他にも大きな夢を見ていいのではないだろうか。

 

男性の場合

思い出す 日に焼けてた 僕たちを

同じ夢追いかけては 泣いて笑った

今はもうあの日のように走れない

だけどまだ 夢追いかけている

 主人公と結婚する友人とは、おそらく学生時代に同じ夢を見て励まし合った仲なのだろう。

今はかつてのような若さや行動力はないけれど、それでもお互いに夢を追いかけ続けている、というシチュエーションかと思われる。

そしてその「夢」は、決して「結婚」ではない

さらに言うと、結婚式を挙げるということはそれなりに収入や生活が安定しているということではないだろうか。

つまり既に就職していて、「夢」というのは「仕事」のことでもないのかもしれない。

考えられるのは、例えば副業として可能な職業、年齢を問わず就ける職業、もしくは趣味の世界での目標、「世界に名声を響かせたい」など具体的ではないもの、そういう生涯をかけて追いかける夢のことのような気がする。

あるいは「結婚」や「仕事」も夢のひとつではあったが、それらを叶えるごとにまた新たな夢を見付けているのかもしれない。

 

「結婚」という一つの夢を叶えたら終わってしまう前述の女性の生き方より、生涯をかけて夢を追いかけるこの男性の生き方の方が、個人的には魅力的に思える。

 

男女の友情

女性の場合

強がりでも本当はそう泣き虫だから

私からも彼に一つ頼みたいこと

笑顔の日も涙の日も守ってあげてね

私の大事な友達だから 

 全体を通してムズムズが止まらない女性同士の友情を歌っているが、特にうわあと思ったのがここ。

完全に友人が自分の所有物みたいになっている。

友人に依存しているというか、依存しあっているのではないだろうか。

「守ってあげてね」というフレーズも、何だか上から目線で気持ちが悪い。

 

私は中高性の頃から、女性の閉鎖的な友人関係が苦手だった。

もっとさっぱりした付き合いで、特定の個人というよりたくさんのクラスメイトや同級生と仲良くしたかったし、連れションとかも理解できなかった。

この曲に歌われているのはそんな私の苦手な閉鎖的な関係の中でベタベタ慣れ合うような友情で、私には共感できなかった。

 

男性の場合

君の存在が何度も背中を押してくれて

ここまで来た気がするよ 

 「夢」に関する部分で紹介した歌詞の続きに当たる部分だが、互いに夢を追いかけあう二人は、いいライバル関係であったのかもしれないと思わせられるフレーズである。

お互いに高め合うことのできる友人関係というのは理想的だと思う。

慣れ合うわけではなく、友人の頑張る姿を見て自分も頑張ろうと思う、そんな刺激し合える関係なのではないだろうか。

 

私は女子校出身なので男性同士の友情についてはほとんど分からないのだが、例えば好きなミュージシャンや俳優さんを見ていると、このように刺激し合い、高め合う関係にある相手がいる場合が多い気がする。

芸能界の女性のいじめは陰湿だとも聞くし、女優や女性アイドルなどでそのような関係というのはあまり知らない。

 

まとめ

恋愛脳の女性は視野が狭くなってるのではないかなと感じざるを得ません。

私はこの二曲の歌詞だと「Dear Friend」の方に共感するし、生涯追いかける夢を持ち、互いに高め合える友人と付き合っていきたいと思う。

結婚観、夢の捉え方、友人観に関しては、私は男性寄りの考えに近いのかもしれない。

 

そしてやはり、西野カナ氏の歌詞が女性の代弁というのなら、私は女心なんてこれっぽっちも分かりたくないと思う。

ナベシャツ購入を検討

胸の大きさは、女性としてのステータスという。

しかし男女の概念がない私にとって、大きな胸は邪魔以外の何物でもない。

 

先日、10年近く前に買ったもののお腹周りがふくよかになったためサイズが合わなくなった服を、ダイエットしたおかげで再び着られるようになったので着て出かけるということがあった。

しかし、お腹周りはすっきりしたものの、胸のサイズはダイエット前からほとんど変わっていなかったのか、服を購入した時より大きくなってしまったのか、ものすごくきつくなっていた。

そのため、胸を無理矢理服に押し込め、ジッパーを締めることでなんとか着ることができた。

その状態で約1日過ごして感じたことを、書いてみたい。

 

胸を潰して過ごしてみての感想

揺れない

がっちり固定されているので、乳房が揺れない。

走ったり、飛び跳ねたりしても、全く揺れることがない。

乳房が揺れるというのはかなりの衝撃や痛みが伴うことなので、実に快適だった。

 

邪魔にならない

物理的に小さくなったことで、非常にすっきりした。

おかげで狭いところを通る時、うつぶせになった時、ほとんど邪魔にならない。

これもやはり快適だった。

 

足元が見やすい

これも前述の項目と被るのだが、下を見下ろした時に視界が広がる。

特に足元が見やすい。

おかげで落としものにも気付きやすいし、靴の紐がほどけてもすぐ分かるし、階段を下りる時も怖くない。

非常に快適だった。

 

胸への視線が気にならない

自意識過剰な部分もあるとは思うが、大きな胸へ遠慮のない視線を向けてくる人間というものは存在する。

実際はそうではなかったとしても、見られているのではないか、と気になることもある。

しかし、胸がさほど大きく見なければ視線を気にする必要もない。

変なナンパや痴漢に遭うこともない。

これもまた、快適だった。

 

胸を潰して過ごしてみての結論

総合的な感想

快適過ぎる。

これに尽きる。

 

ナベシャツに興味が湧く

縮胸手術や乳房の切除という選択肢もあるが、それらはやはり金銭的な問題や、肉体的な安全面の問題もある。

ということで、ナベシャツを着用するのはどうだろうと考えるようになった。

胸を小さくすることで、ブラウスや胸元が大きく開く服なども気にせず着ることができる。

和服も綺麗に着こなせる。

更に、男装する時もメンズの服が違和感なく着こなせることだろう。

 

しっかりしたものは1万円近くするようだが、2000~3000円の手ごろなものもあるようだ。

色々と探して検討してみたい。

 

 

胸つぶし ナベシャツ タンクトップ 3列6段フック&ゴム

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腸活はじめました

私は肌荒れがひどい。

元々敏感肌であり、また乾燥しやすい体質でもある。

 

今年の夏頃、保湿のために化粧水や乳液を付けた際、真っ赤に腫れ上がったことがきっかけでさすがに危機感を抱いた。

皮膚科で肌荒れのための飲み薬、肌荒れの塗り薬、保湿剤、ワセリンをもらい、それを塗り続けた。

 

洗顔は薬局で売っている低刺激石鹸に変えた。

NOV ノブ ソープD 100g

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ボディソープも赤ちゃんの敏感肌にも優しいものにした。 

  

また、顔の保湿のために今もワセリンを使用している。 

【第3類医薬品】プロペトホーム 100g

【第3類医薬品】プロペトホーム 100g

 

 これは一般に買える家庭用のものだが、私が使っているのは病院で処方してもらった医療用のものだ(成分はほぼ同じ)

 

おかげで顔の赤みは引いたが、今でもすぐに肌がかさつき、ガサガサになってしまう。

顔だけでなく、胸元や背中もだ。

なるべくこまめにワセリンや保湿剤を塗っているが、それもなかなか煩わしい。

 

そんな時、Twitterでこんなツイートを目にした。

 

 早速、騙されてみることにした。

 

そういえば私は元々便秘気味の体質に加え、精神薬の副作用でさらに便秘がひどくなり、日常的に下剤を飲んでいる。

最近は下剤の効き目がまちまちで、便秘と下痢を繰り返すほど腸の働きが悪い。

お腹を冷やしたわけでも冷たいものを食べたわけでもないのに、腸の辺りが痛むこともたまにある。

そんなこんなで先日、元々処方されている胃薬4種類に加え、ビオフェルミンを処方されるようになった。

自分の腸内環境は気になっていたところだった。

 

まだヤクルトを飲み続けて4日ほどなので、効果は分からない。

とりあえず、女装(私の外見は女性だが、性別の概念がないため女性の格好をするのは女装である)する時に化粧できるくらいに肌が綺麗になればいいなあと思っている。

高齢者運転事故と田舎の交通事情

ここ最近、高齢者による運転事故のニュースが連日TVやネットを賑わせている。

認知症の診断を毎年義務付けろとか、年齢によって免許返納を検討しろとか色々な意見が出ているが、田舎暮らしの老人にとってはそれは現実的ではないのではないだろうか。

 

私は実際に田舎に住んでいるため、田舎の交通がどんなものかよく知っている。

その視点から、老人の交通手段について考えてみたい。

 

田舎の交通手段の現実

電車・路線バス

基本的には大きな町と町を繋ぐものであるので、市の中心部を貫いている。

沿線に住んでいて沿線に用事がなければ、なかなか使い勝手はよくない。

駅やバス停から徒歩で行ける範囲も限られているし、そもそも自宅から最寄りの駅や停留所まで徒歩20分や30分なんてことも珍しくない。

 

また、本数も少ない。

1時間に1本か2本はざらだ。

ラッシュ時の朝夕でも20分~30分間隔程度である。

また、バスは天気や交通状況により遅延することが多く、時刻表はほぼ当てにならない。

時刻表にあわせてバス停に到着したものの、30分以上待つなんてこともよくある。

 

タクシー

タクシー乗り場があるのは、大きな駅前くらいである。

基本的には電話で呼んで10分~30分待つことになる。

流しのタクシーはバスが通るような大通りくらいしか走っておらず、しかも大通りを走っているタクシーが空車である可能性は低い。

 

また、田舎は店や施設などが点在しているため、買い物にしても病院などにしても、ワンメーターで行ける場所は少ない。

なかなかの値段になってしまう。

介護タクシーや高齢者用のタクシー割引券もあるにはあるが、それを利用したとしてもバスや電車を利用するよりも割高になってしまう。

 

更に大きな荷物を積み込むには向かないため、畑仕事の際に農具を乗せて行くなどは難しいと思う。

 

コミュニティバス

いわゆる、市内循環バスのようなものだ。

ワンコインで市内の主要施設を巡るものが多いと思う。

基本的には市民病院や郵便局、市役所などの公的施設を結んでいる。

そのため、小さな個人医院、スーパーへの買い物、知人宅への訪問、畑に行くなどには向かない。

 

私の住んでいる市では上記のような理由がネックとなったのか利用者が少なく、最初は内回りと外回りがあったが現在は一方通行のみになってしまった。

正に行きはよいよい帰りはこわい、状態だ。

更に本数も大幅に減り、現在は1時間に1本か2本しか走っていない。

いつ乗っても乗客が3~5人くらいしかいないのも、採算が取れているのか気になるところだ。

 

自転車、三輪車

乗っている高齢者を見かけるが、長距離を移動するには体力面の問題もあり難しいと思う。

また、自転車で買い物に行くと、たくさんの荷物をかごに載せて持って帰ることになり、バランスが悪く転倒の危険もある。

老人用電動三輪車もそこまで多くの荷物を載せることができるわけではないので、農作業に行くにしても出来ることには限度があると思われる。

 

体力面、安全面、時間を考えると、相当の長距離移動でない限りは徒歩とあまり変わりがないと思われる。

 

結論

やはり、自家用車に頼らざるを得ない、というのが現実だ。

 

私の祖父の場合

私の母方の祖父は、今年の5月に88歳で亡くなった。

4月に前触れなく脳梗塞で倒れ、そのまま帰らぬ人となったのだが、倒れる前日まで自家用車を運転していた。

ちなみに、無事故無違反であった。

 

自家用車で行く先は、主に畑だった。

農具や肥料、苗、そして収穫した野菜などを多く積んでいた。

 

また、家族の送迎もよく行っていた。

足の悪い祖母を病院に連れて行くのが日課だった。

都会の大学に進学した孫が帰省した際は、新幹線の停まる駅まで迎えに行ったりもしていた。

私の職場が祖父の畑に近かったため、仕事帰りにバス停(30分以上待っても来ないことが多い)でバスを待っている私を見付けて、家まで送ってくれたこともよくある。

更に私は運転にはドクターストップがかかっておりペーパードライバーのため、やはり駅までの送迎を頼んだことなどもここ数年だけでも何度か記憶にある。

 

このように、高齢ドライバーにとって自家用車の運転は日常から切り離せないものなのだ。

 

高齢者の運転事故を防ぐための提案

しかし、やはり認知症や判断力の低下など、加齢に伴い安全運転が難しくなるのも事実だ。

いくら生活から切り離せないとはいえ、事故が起きてしまってはやはり規制せざるを得ないのではないだろうか。

では、高齢者が自家用車の運転をやめても日常生活に支障が出ないためには、どうすればよいか。

現実的ではないものもあるが、いくつか考えてみた。

 

 老人用電動三輪車補助金

運転免許証を返納した者に対して、補助金を出すというのはどうだろう。

老人用電動三輪車は大体20万~30万くらいなので、自転車などと比べるとなかなか手が出しづらい値段かもしれない。

財源をどうするかという問題は残るが、もう少し購入しやすくするのはありだと思う。

 

もちろん、先に述べたように、老人用三輪車は長距離の移動や大量の荷物の運搬には向かない。

しかし近所のスーパーなどへの買い物や病院の診療、軽い農作業くらいなら充分だと思う。

 

家族との同居

子ども、もしくは孫に車で送迎してもらうことで、自分で運転する必要はあまりなくなるのではないだろうか。

もちろん、出かけたい時に常に家族が在宅しているとは限らないが、そういう時のみ介護タクシーなどを使うことで交通費を抑えることは出来ると思う。

 

これが実現すれば、高齢者の運転事故だけでなく、様々な問題が解決することになる。

  • 田舎の空き家問題
  • 独居老人・孤独死
  • 老老介護
  • 地方の過疎化
  • 都会の満員電車
  • 待機児童

などなど。

まあ、そんなことができるならみんなしていると思う。

親や舅姑と折り合いが悪いとか、仕事がないとか、親と同居せず都会で暮らす理由はそれぞれあるだろう。

 

つまり、何とかすべきは結局、東京一極集中なのかなあと思う。

夢から覚めない夢

夢から覚めない夢を見たことがあるだろうか?

もしくは、夢の中で夢を見たことがあるだろうか?

夢から目覚めた、と思ったらいまだに夢の中だったという経験はないだろうか?

 

夢占いでは、「夢を見る夢」というものは「非常に疲れている」もしくは「ストレスが溜まっている」状態を表すらしい。

 

私はこのような夢をしばしば見る。

また、金縛り状態に遭うこともよくある。

 

ちなみに金縛りに遭うのも、心身が疲れている時やぐっすり眠れていない時によく起きることだ。

 

要するに、夢から覚めない夢は私のうつ症状からくる、一種の睡眠障害と思われる。

ちなみに私は相当な量の眠剤を服用しなければ眠りに就けなかったり、眠りが浅く短時間で目が覚めてしまったり、いつもの布団以外の場所ではろくに眠れないなどの不眠症状がある。

不眠が続くと、反動で過眠状態になることもある。

 

 

夢から覚めない夢、というのはどのようなものなのか。

実際に経験したことがなければ、その苦しさは分かりづらいかもしれない。

 

昨日、私が見た夢を元に体験談を書いてみたいと思う。

 

私が寝ていたのは現在の寝室ではなく、幼少期に眠っていた部屋のようだった。

隣の部屋には家族がいるような気配があった。

私は目が覚めるが、身体が動かせない。

「せーの!」と気合を入れて起き上がり、家族のいる隣室に歩くが、気付くと意識は布団の中に戻っていた。

何度か同じことを繰り返す。

しかし、何度繰り返しても私の身体は布団の中から動かない。

諦めて、私はもう一度眠ることにした。

 

次に目が覚めたのは、尿意を感じたからだ。

私は身体を起こし、トイレに向かう。

衣服を脱いで便座に座ったところで、私はふと思う。

「私は本当に目覚めているのだろうか? これは現実だろうか?」と。

私は便器や壁を叩き、感触がリアルであることを確認する。

自分の頬ををつねったり叩いたりして、自分が起きていることを確認する。

しかし次の瞬間、意識は布団の中に戻る。

やはり、全ては夢の中の出来事だった。

隣室にはやはり家族がいるようで、私は何とか気付いてもらおうと大声で叫ぶ。

手足をバタバタさせたり、枕元のものを投げたりして、大きな音を出す。

しかし誰も気付かない。

やはり全て、夢の中の出来事だからだ。

 

そんなことが何度か続き、私はぐったりした状態で目覚めた。

 

夢の中で私がもがいていた部屋も布団も、全て現実のものとは違っていたし、家族を呼ぶための行為も全て夢の中での出来事だった。

尿意だけは本当だったが、漏らしそうなほど限界ギリギリまで我慢した状態ではなかった。

 

こんなことが数ヶ月に一度、多いと月に何度か、あるいは週に何度か起きる。

対策としてはやはり、思い切ってもう一度眠ってしまうのが一番のようだ。

しかし何故か、夢の中の私はそれを学習せず、夢の中と分かっていながらなんとか起きようともがき続けるのだ……。