檸檬栽培日記

オタク/腐女子/セクマイ/精神障害者/田舎在住の人間が好き勝手語ります。

ド田舎の夏祭りで泡フェスって……

タイトル通りである。

 

私の地元はとてつもないド田舎だ。

そんなド田舎にも夏祭りがある。

昔は夏祭りを挟んで夏の間は毎週土曜日の夜、夜店が開かれ、商店街に屋台が並んでいた。

しばらく前に夜店は開かれなくなり、屋台が並ぶのは夏祭りの期間中のみとなった。

 

夏祭りと言っても、京都の祇園祭のように神社の祭りではなく、そのため神輿などもない。

隣町には歴史ある神社の夏祭りがあり、神輿がひとつの名物となっている。

はっきり言って、隣町の夏祭りの方が盛況している。

 

そんな我が町の夏祭りの目玉として、今年は泡フェスが行われることとなった。

いくつか疑問点や問題点があるので挙げていきたい。

 

  • 客層は?

まず、どの辺りの客層を狙っているのだろう。

私個人のイメージで悪いのだが、泡フェスというのはクラブイベントの延長、つまり一般的に「パリピ」と呼ばれる人間が集まるイメージがある。

こんなド田舎にパリピがどれくらいいるというのだろう。

パリピと呼ばれる人たちは、基本的には20代~30代前半という。

田舎はとにかく結婚が早い。

20代半ば~30代前半は、結婚して子育て世代であることが多い。

それ以下の20代前半となると、親元を離れて大学生だったり、そのまま都会に就職したりという者も多い。

子育て世代が泡フェス?

それとも、もっと若い中高生辺りを狙っているのかもしれない。

 

  • ナンパ・痴漢

中高生がターゲットだとすると、見逃せない問題かと思う。

実際に泡フェスは出会いの場であるという。

ナンパ目的で参加する人も多いらしい。

まあ、都会の場合はであるが。

もちろんナンパが全部悪いとは言わないが、ヤリモクの男に女子中高生がナンパされたら?

今流行りの淫行になってしまう。

性の乱れは避妊や性病などの問題にも結びつく。

また、実際に泡フェスで痴漢被害に遭ったという体験談も読んだ。

主催者は、痴漢防止のための対策をどこまでしてくれるのだろう。

 

  • クラブイベント慣れしていないのに盛り上がるのか

ド田舎であるが故、市内にクラブはない。

クラブイベントと縁がない人がほとんどかと思う。

ライヴハウスすらなく、音楽を聴きながら盛り上がるという体験はなかなかできない。

もちろん盛り上げ役のミュージシャンやダンサーなどがいるのだろうとは思うが、実際どれくらい盛り上がるのかは未知数だ。

 

 

ここからは私の勝手な意見なのだが。

 

正直、町興しを考えて考えて考えて煮詰まりすぎて頭がおかしくなったとしか思えない。

以前から、我が町の町興しは迷走していた。

 

数年前から売り出しているのが、B級グルメだ。

一般的なご当地名物フードの具材を1種類変えただけのもので、多少味や食感は違うが、取り立てて騒ぐほど美味しいわけではない。

わざわざ我が町に来てまで食べようと思うだろうか……。

更に、そのB級グルメにあわせてご当地ゆるキャラも作られた。

ゆるさも可愛さも中途半端というか、正直あまり可愛くもないし、かといってキモくもないし。

グッズ展開もそれほどしていないので、知名度はあまりない。

 

近年になって、90年代に活躍していた我が町出身のミュージシャンをイベントに招聘するようにもなった。

何故、90年代にそのミュージシャンを町興しに利用(と言ったら言葉は悪いが)しなかったのか。

90年代からB'zで町の名を売っていた津山市を見習ってほしい。

あるいは、せっかくなのだからとことんそのミュージシャンやヒット曲のネームバリューを利用すればいいと思う。

例えば公立の小中学校の校歌を作ってもらえないのだろうか。

ヒット曲を駅メロに使えないのだろうか。

……まあ、市内で一番大きな駅ですら1時間に1本~2本しか電車が来ないのだが。

 

その他にも、何の売りもない道の駅を作ったり、学校を統廃合して小中一貫校にすることに力を入れていたりと、迷走は続いている。

小中一貫校については賛否あると思うが、中高一貫校で人間関係に苦しんだ私から見ると、地獄としか思えない。

そもそも、小学校でイジメにあっていたので、人間関係をリセットするためにも中学受験を選んだのだが。

 

 

とにもかくにも、泡フェスがいい結果をもたらすことを心から願っています。

高齢者運転事故と田舎の交通事情

ここ最近、高齢者による運転事故のニュースが連日TVやネットを賑わせている。

認知症の診断を毎年義務付けろとか、年齢によって免許返納を検討しろとか色々な意見が出ているが、田舎暮らしの老人にとってはそれは現実的ではないのではないだろうか。

 

私は実際に田舎に住んでいるため、田舎の交通がどんなものかよく知っている。

その視点から、老人の交通手段について考えてみたい。

 

田舎の交通手段の現実

電車・路線バス

基本的には大きな町と町を繋ぐものであるので、市の中心部を貫いている。

沿線に住んでいて沿線に用事がなければ、なかなか使い勝手はよくない。

駅やバス停から徒歩で行ける範囲も限られているし、そもそも自宅から最寄りの駅や停留所まで徒歩20分や30分なんてことも珍しくない。

 

また、本数も少ない。

1時間に1本か2本はざらだ。

ラッシュ時の朝夕でも20分~30分間隔程度である。

また、バスは天気や交通状況により遅延することが多く、時刻表はほぼ当てにならない。

時刻表にあわせてバス停に到着したものの、30分以上待つなんてこともよくある。

 

タクシー

タクシー乗り場があるのは、大きな駅前くらいである。

基本的には電話で呼んで10分~30分待つことになる。

流しのタクシーはバスが通るような大通りくらいしか走っておらず、しかも大通りを走っているタクシーが空車である可能性は低い。

 

また、田舎は店や施設などが点在しているため、買い物にしても病院などにしても、ワンメーターで行ける場所は少ない。

なかなかの値段になってしまう。

介護タクシーや高齢者用のタクシー割引券もあるにはあるが、それを利用したとしてもバスや電車を利用するよりも割高になってしまう。

 

更に大きな荷物を積み込むには向かないため、畑仕事の際に農具を乗せて行くなどは難しいと思う。

 

コミュニティバス

いわゆる、市内循環バスのようなものだ。

ワンコインで市内の主要施設を巡るものが多いと思う。

基本的には市民病院や郵便局、市役所などの公的施設を結んでいる。

そのため、小さな個人医院、スーパーへの買い物、知人宅への訪問、畑に行くなどには向かない。

 

私の住んでいる市では上記のような理由がネックとなったのか利用者が少なく、最初は内回りと外回りがあったが現在は一方通行のみになってしまった。

正に行きはよいよい帰りはこわい、状態だ。

更に本数も大幅に減り、現在は1時間に1本か2本しか走っていない。

いつ乗っても乗客が3~5人くらいしかいないのも、採算が取れているのか気になるところだ。

 

自転車、三輪車

乗っている高齢者を見かけるが、長距離を移動するには体力面の問題もあり難しいと思う。

また、自転車で買い物に行くと、たくさんの荷物をかごに載せて持って帰ることになり、バランスが悪く転倒の危険もある。

老人用電動三輪車もそこまで多くの荷物を載せることができるわけではないので、農作業に行くにしても出来ることには限度があると思われる。

 

体力面、安全面、時間を考えると、相当の長距離移動でない限りは徒歩とあまり変わりがないと思われる。

 

結論

やはり、自家用車に頼らざるを得ない、というのが現実だ。

 

私の祖父の場合

私の母方の祖父は、今年の5月に88歳で亡くなった。

4月に前触れなく脳梗塞で倒れ、そのまま帰らぬ人となったのだが、倒れる前日まで自家用車を運転していた。

ちなみに、無事故無違反であった。

 

自家用車で行く先は、主に畑だった。

農具や肥料、苗、そして収穫した野菜などを多く積んでいた。

 

また、家族の送迎もよく行っていた。

足の悪い祖母を病院に連れて行くのが日課だった。

都会の大学に進学した孫が帰省した際は、新幹線の停まる駅まで迎えに行ったりもしていた。

私の職場が祖父の畑に近かったため、仕事帰りにバス停(30分以上待っても来ないことが多い)でバスを待っている私を見付けて、家まで送ってくれたこともよくある。

更に私は運転にはドクターストップがかかっておりペーパードライバーのため、やはり駅までの送迎を頼んだことなどもここ数年だけでも何度か記憶にある。

 

このように、高齢ドライバーにとって自家用車の運転は日常から切り離せないものなのだ。

 

高齢者の運転事故を防ぐための提案

しかし、やはり認知症や判断力の低下など、加齢に伴い安全運転が難しくなるのも事実だ。

いくら生活から切り離せないとはいえ、事故が起きてしまってはやはり規制せざるを得ないのではないだろうか。

では、高齢者が自家用車の運転をやめても日常生活に支障が出ないためには、どうすればよいか。

現実的ではないものもあるが、いくつか考えてみた。

 

 老人用電動三輪車補助金

運転免許証を返納した者に対して、補助金を出すというのはどうだろう。

老人用電動三輪車は大体20万~30万くらいなので、自転車などと比べるとなかなか手が出しづらい値段かもしれない。

財源をどうするかという問題は残るが、もう少し購入しやすくするのはありだと思う。

 

もちろん、先に述べたように、老人用三輪車は長距離の移動や大量の荷物の運搬には向かない。

しかし近所のスーパーなどへの買い物や病院の診療、軽い農作業くらいなら充分だと思う。

 

家族との同居

子ども、もしくは孫に車で送迎してもらうことで、自分で運転する必要はあまりなくなるのではないだろうか。

もちろん、出かけたい時に常に家族が在宅しているとは限らないが、そういう時のみ介護タクシーなどを使うことで交通費を抑えることは出来ると思う。

 

これが実現すれば、高齢者の運転事故だけでなく、様々な問題が解決することになる。

  • 田舎の空き家問題
  • 独居老人・孤独死
  • 老老介護
  • 地方の過疎化
  • 都会の満員電車
  • 待機児童

などなど。

まあ、そんなことができるならみんなしていると思う。

親や舅姑と折り合いが悪いとか、仕事がないとか、親と同居せず都会で暮らす理由はそれぞれあるだろう。

 

つまり、何とかすべきは結局、東京一極集中なのかなあと思う。

田舎の障害者支援施設

以前書いたこの記事と、少し関連する内容になる。

 

lemonymint.hatenadiary.jp

 

私は田舎に住んでいるため、障害者と交流する場というものが少ない。

 

各市などの保健課に相談すれば、障害者支援の施設を紹介してもらえる。

私の住んでいる市には、いくつかの障害者支援施設がある。

知的、身体、精神それぞれの作業所や、生活支援などの施設だ。

 

私は精神障害者手帳を持っているため、精神障害者ということになるが、作業所で職業訓練をすることなくバイトを始めた。

体験として何度か足を運んだこともあるが、他人とのコミュニケーションが極端にできないなど、とにかく私よりも社会への適応が難しそうな利用者が多く、私の居場所ではないように感じた。

とはいえ、私もバイトを始めるまでは数年間、寝たきりの引きこもりニート状態だったのではあるが。

 

また、三障害の当事者や家族などが交流をすることができる施設にも、足を運んだことがある。

活動の内容としては、お茶やお菓子をいただきながら世間話をする他、料理、工作、軽スポーツ、ゲーム、DVD鑑賞などがあった。

いずれにせよ、知的や身体の障害者が多いので、彼らが参加しやすいルールや難易度となっている。

つまり、私にとっては「楽にできすぎてしまう」のだ。

 

それが特に顕著だったのが、カードゲームをした時だった。

 

まずはカルタ取り。

人数がそこそこいたため、一組のカルタではすぐに終わってしまうし面白くないとのことで、支援者の方が三種類のカルタを混ぜてのプレーを提案された。

最初は私も枚数の多さに戸惑い、皆と同じペースでカードを取っていた。

しかし、枚数が半分くらいになった頃だろうか。

三種類のカルタはそれぞれ内容が違うため*1、読み札の内容からすぐにどの取り札かが分かってしまう。

知的障害者が大半を占める中、私は順調に枚数を増やした。

案の定、私は他の障害者たちにダブル、トリプルスコアを付けてぶっちぎり優勝してしまった。

 

そして、トランプだ。

ババ抜きや神経衰弱など、運も大きく絡むものはそれほど差がつかない。

問題は、若干の戦略が絡んでくる七並べのようなものである。

私は「6」や「8」で止めるという戦略を誰しも知っているものと思い、使ってしまった。

しかし結果的にその戦略を知っている知的障害者も支援者もおらず、私の一人勝ちとなってしまった。

身体障害者も支援者と二人一組で参加していたが、誰も知らなかったようだった。

 

つまり、精神障害者というのは三障害の中でも孤立しやすいのだと思う。

特に、見た目では健常者と変わらない双極性障害や重度のうつという場合などはそうだろう。

 

精神障害者だけのコミュニティがあれば、多少は違うのだと思う。

実際、全国のレベルで見てみればノーチラス会など、双極性障害の当事者・家族会は存在する。

しかし田舎で精神障害者と知り合うことは、非常に難しい。

まず、引きこもっている者が多いため、外に出ない。

他人の目を気にして障害者であることを隠している。

精神的に他人と関わりたくない気分である。

その他色々な理由があるだろう。

都会であれば、絶対数が多いので障害者同士コミュニケーションを取ろうとする者と出会う機会は増えると思う。

SNSで知り合うこともできる。

田舎では絶対数が少ないことに加え、SNSを利用している者も少ない。

何故なら、平均年齢がものすごく高いのだ。

PCやスマホを利用している精神障害者がどれくらいいるか。

多くがガラケーユーザーなのだ。

結局、精神障害者と出会う場は、精神障害者の作業所か、精神病院しかない。

 

結果的に、私は交流会に行かなくなった。

バイトを始めたことで、時間的に難しくなったこともあるが、行ったことで何も実になるものがないことに気付いたことも大きい。

体験談を交換したくとも、相手がいない。

困っていることを相談したくとも、相手がいない。

とにかく、同じ立場、似た立場の存在が見付からないのだ。

 

田舎の障害者支援施設を利用して私が痛感したのは、「田舎の精神障害者は孤独だ」ということだった。

*1:ことわざ、交通安全、プロ野球、だった

どこでもドアをください

職場に行けなくなって、少し経った。

 

主治医や家族など周りの者からは、好きなことをしてゆっくりするように言われる。

こうして自分の思っていることを自分の言葉で吐き出す場を作ったことにより、精神的な落ち込みは随分と軽減した。

しかし相変わらず身体の不調は改善しない。

めまいや微熱といった自律神経失調症の典型的な症状が主だ。

特に厄介なのが、全身の倦怠感とやる気が出ないことである。

 

私の好きなことといえば、ライヴや舞台観劇に行くことだ。

もちろん、見ている間は楽しい。

しかし、そのためには東京などある程度都会に行かなくてはならない。

 

以前の記事にも書いたように、田舎住まいの私が都会に行くためには、長時間バスないし新幹線に乗ることが必要となる。

その時間を考えると、出かけることが億劫になる。

数時間座りっぱなし……別にその間、ライヴやお芝居を見るわけでもない。

 

そのため、見たいな、行きたいな、と思う催し物があっても距離が大きなハードルとなり、断念してしまう。

自家用車で一時間、とかならなんとか行けるのだけれども。

 

もちろん、行ってしまえば楽しいことも分かっている。

一歩を踏み出すまでが大変なのだ。

不登校や、出勤したくない時と同じだ。

 

生活圏内にライヴハウスや芝居小屋がないのなら、どこでもドアが欲しい。

 

ちなみに映画館もショッピングモールもファストフード店も自家用車で30分以上かかるので、ゆっくり好きなことをと言われてもなかなか難しい。

結局今は、寝ることとスマホゲームが数少ない楽しみだ。

田舎の少女が舞台に出会う

私の趣味の一つに、舞台観劇がある。

舞台の芝居やミュージカルというものは、基本的に東京での開催がほとんどで、地方巡業というのは珍しい。

もちろん地方にもその地方出身者などによる劇団があり、公演を行っている都市もある。

最近は特に2.5次元と呼ばれるジャンル*1を中心に、全国の映画館でライヴビューイングや上映会なども行われている。

しかし、基本的に地方在住者にとって舞台の芝居に触れるということは、なかなかハードルの高いものである。

 

私の生まれ育った場所は、客観的に見て田舎である。

芝居小屋もなければ劇団もなく、地方巡業として県内に来るものといえば劇団四季やTVドラマなどで活躍する有名俳優が主役を張るものなどがほとんどで値段も高ければ敷居も高い。

比較的容易に触れることのできる舞台といえば、学芸会の劇や演劇部の発表、温泉施設の大衆演劇、数年に1度学校に来て芝居を見せてくれる劇団による演劇鑑賞会くらいだ。

私も小学生の頃は演劇鑑賞会で「杜子春」の一人芝居を見たし、高校の頃には思春期の青春や友情といったものをテーマにした芝居を見た記憶がある。

ただ、「杜子春」はやはり教訓的な意味合いが強く、青春ものも好みではなかったので、芝居の楽しさを知るには至らなかった。*2

ちなみに高校の修学旅行では歌舞伎座で歌舞伎を見たが、旅の疲れで眠気と戦っていたことと、幕の内弁当が美味しかったことしか覚えていない。

 

 

そんな私が舞台演劇に興味を持つきっかけとなったのは、高校3年の頃に「赤の神紋」(桑原水菜著)という小説を読んだことだった。

コバルト文庫ということでラノベに分類されるかとは思うし、耽美な同性愛描写も多少あるのでBL小説にもなるかと思う。*3

 

簡単にあらすじを紹介すると、主人公は劇作家であり、目の上のたんこぶというか雲の上の存在というか、敬愛しながらもライバル視する劇作家がいる。

そのライバル劇作家が書いた作品の一つが「赤の神紋」である。

ある日、主人公は一人の若者に役者としての才能を見出し、演劇の世界に招き入れる。

若者は主人公にとって「赤の神紋」の主役を理想的に演じるかもしれない存在であった。

紆余曲折あり、主人公の援助も受けながら役者としてのキャリアを積んだ若者は、「赤の神紋」の主演のオーディションに挑む……といったものだ。

 

私にとってほとんど未知の世界だった演劇の世界が、そこには丁寧に描かれていた。

恥ずかしい話だが、私はこの小説を読むまで演劇ヲタには常識である「マチネ」、「ソワレ」、といった舞台用語も全く知らなかった。

「上手」と「下手」がどちらがどちらかも分からなかった。

そもそも、劇作家という職業を知ったのもほぼ初めてだったように思う。

それまではシェイクスピアのような伝統のある戯曲や、小説など既存の作品を脚本として芝居が作られると思っていたのだ。

 

そんなこんなで芝居の世界に興味を持った私は、大学に入学して間もなく、大学の演劇部に仮入部することとなる。

しかし、そこで味わったのは大きなカルチャーショックだった。

部室に初めて訪れた時、先輩たちは私たち新一回生に「好きな劇団は?」と質問を投げかけた。

私は、劇団など何一つ知らなかった。

同級生たちは、劇団☆新感線など、人気の劇団の名前をいくつか挙げた。

その後、先輩のおごりで夕飯を食べながら色々話もさせてもらったが、帰る頃にはここは私の居場所ではないと悟った。

やはり、田舎育ちで演劇に触れる機会が少ない者が演劇の世界を目指すのには、無理があるのだと思った。

 

今ならさすがに、その考えは極端なものだったと分かる。

実際、私は色々な舞台を見に行くが、特に特定のお気に入りの劇団など今もない。

カムカムミニキーナや*pnish*など、好みだなと思う劇団はあるけれども、公演があるならぜひ観に行こうと判断する基準は今も昔も劇団よりも役者だ。

 

その役者に関しても、私は知識が偏っていることを自覚している。

元々舞台を見に行くきっかけとなったのが特撮ヒーロー番組に出ていた役者が出演すると知ったからで、その共演者、そのまた共演者、とある程度は知識も広がった。

けれど田舎から観劇に行くには多くても月に2、3公演程度が限界*4で、結局好きな役者を優先するのでなかなか世界が広がらない。

観劇歴は6年を超えるが、なんだかんだ未だに四季の公演は見たことがないし、新感線にも行ったことはない。

 

それでも、私は舞台観劇が好きだ。

ドラマや映画も好きだが、生の舞台はまた違った魅力がある。

その魅力的な舞台を気軽に見に行ける都民や関東在住の人たちが羨ましいなと思いつつ、今日も舞台の公演時間と夜行バスの時刻表を睨めっこしている。

*1:マンガ・アニメ・ゲームなど原作が2次元のものの舞台化

*2:小学校の文化祭での劇で演じるのは好きだった

*3:個人的にはあの二人はプラトニックラブであってほしい

*4:ただし、2日間でマチソワ合計4回見たこともある