精神障害とパラリンピック
五輪に関してはいくつか言いたいことがあるが、今日はパラリンピックについて言及したいと思う。
パラリンピックといえば、「障害者のオリンピック」という認識が強いと思う。
しかし、より正しく言うならば、「聴覚障害を除く身体障害者のオリンピック」だろうか。
知的障害に関しては参加可能な競技が採用されたり不採用になったりと、安定していない。
聴覚障害者と精神障害者に関しては、基本的に参加が認められていない。
聴覚障害、精神障害は確かに外見や診察での判断が難しく、健常者が成りすます可能性もあるので確かに難しいところだろう。
また、競技によっては難しいものもあるかもしれないが*1、パラリンピックではなくオリンピックを目指すことも可能である。
そもそも精神障害の人間がアスリートとしてトレーニングができるかどうかは別として。
ちなみに障害者スポーツとして、精神障害者フットサルというものがある。
他人とのコミュニケーション能力に欠ける者が多い障害なので、フットサルを通してそれを養おうといったところだろうか。
まあ、精神障害者が個人競技に参加しても、健常者とさほど変わらないタイムや記録を出してしまうことは目に見えている。
そういう私も、精神を患っているくせに、しかも肥満体型のくせに、運動神経は抜群だった。
マラソンなどは持久力がないので苦手だが、遠投はクラスで一番、50m走はリレーの代表になるレベル、水泳のタイムも悪くなく、握力は成人男性とほぼ同じ、砲丸投げにいたっては学年一の記録を出してしまった。
肥満体型になる前は、走り幅跳びも4㎡近く楽々跳んでいたし……。
なので、精神障害がなければ、運動部でそこそこの結果が残せたのではないかと悔しい思いがある。
また、身体・知的・精神混合の障害者交流会で軽スポーツを行う時も、とんでもない記録を一人で出してしまうので非常に居心地が悪い。
グランドゴルフでホールインワンとか、的当てや輪投げで全部当たるとか……。
障害者スポーツに関して、「障害者」と一口にまとめてしまうのは些か乱暴ではないかなあと思わずにはいられない。
*1:耳が聞こえない状態でのサッカーなどは危険