檸檬栽培日記

オタク/腐女子/セクマイ/精神障害者/田舎在住の人間が好き勝手語ります。

性別限定ライヴのこと

先日、このようなツイートを見かけた。

 

 

 なお7日公演は男性限定、8日公演は女性限定の公演となり、いずれもファンクラブ「a knot」会員および「DIR EN GREY ONLINE」会員を対象にチケットが販売される。

 

DIR EN GREYに限らず、ももいろクローバーZT.M.Revolutionなど、性別限定ライヴを行っているアーティストはいる。

その理由としては、例えば普段女性のファンが多いアーティストだとしたら、男性にも気兼ねなく楽しんでもらおうというものなどが考えられる。

しかし、これは男女差別なのではないかという声も根強いようだ。

また、トランスジェンダーの者にとっては、自分がどちらに参加できるのか分かりづらかったり、どちらかの性として参加するためにその性として認めてもらう必要があるなどのハードルもあるらしい。

 

さて、くどいようだが私には性別の概念が欠落している。

ただし、身体の構造上、普段は女性として生活している。

 

もう10年ほど前のことだろうか、私も女性限定ライヴに参加したことがある。

ちなみにそのライヴのメインアクトは愛内里菜嬢だったのだが、女性限定日のみのゲストとして、私の大好きなバンドdoaの徳永氏、大田氏の両名が出演した。

また、無料で会員になれるとのことで、その場で愛内嬢のファンクラブの女子部のようなものにも加入した。

その後、愛内嬢のライヴで女性専用スペースに案内されたり、女性限定ライヴに参加したりという恩恵を受けた。

 

その際に感じた、性別限定ライヴ、性別限定エリアのメリットは以下だ。

 

  • 目の前に背の高い男性が来ることがないので見やすい
  • 痴漢の不安がない
  • 女性ならではのあるある話で盛り上がれる

 

上の二つは完全に、身体的な問題である。

もちろん背の高い女性もいるし、女性を触りたい女性もいるだろうが、男性に比べたら少ないのではないだろうか。

最後のひとつはいわゆる「女性らしさ」という私の苦手な部分に関わる部分だ。

ファッションやメイク、恋バナといった話題は、確かに男性が多い会場で盛り上がるかといえば難しいと思うが……。

 

男性限定ライヴには参加したことのないため、メリットなどは分からない。

想像するに、背の小さな女性に配慮する必要がない、痴漢に間違われる心配がない、また男性アーティストだと男性ならではの話で盛り上がれる、ということだろうか。

男性ならではの話、というと、好きな女性のタイプ(下ネタ含む)、スポーツ、車やバイクなどが考えられる。

 

ということは、身体的な性に合わせるべきなのか、心の性に合わせるべきなのか。

トランスジェンダーやXジェンダーの者にとっては、悩ましい問題だろう。

 

ちなみに私は身体的なメリットを優先することにしている。

ファンと黒歴史

先日10月9日は109(トク)の語呂合わせで、私の好きなバンドdoaの徳永氏がここ数年ソロライヴを行っている。

今年はスケジュールの関係もあり、今月末からソロライヴツアーが始まる予定だ。

徳永氏のソロライヴではdoaの楽曲の他、自身が影響を受けた洋楽のカバー、提供曲のセルフカバー*1、また親交のあるミュージシャンや事務所の後輩などをゲストに迎え、ゲストの持ち曲やルーツとなった曲などを一緒に演奏をしたりする。

 

doaは三人がそれぞれリードボーカルを取るという特徴があり、またメインボーカルの吉本氏がプロのレーシングドライバーとしても活動しているため、三人揃ってライヴ活動が行えない時期は毎年徳永氏、大田氏の両名がそれぞれソロライヴを開催している。

 

大田氏のソロライヴはdoaの曲はもちろん、初期は大田氏の大好きなBON JOVIの曲のカバーを中心に選曲されていたが、最近はBeatlesTHE ALFEEなど洋邦問わず自身のルーツとなったミュージシャンの楽曲をカバーしている。

また、初期はライヴサポートで参加したB'zの稲葉浩志のソロ曲*2という事務所の先輩のカバーもあったが、今年のソロツアーでは久々にその稲葉氏の曲、またZARDWANDSといった自身がコーラスでレコーディングに参加したミュージシャンの曲もカバーしていた。*3

更に去年からは、かつて大田氏が在籍していたバンドであるBAADの「君が好きだと叫びたい」をレパートリーに入れている。

 

さて、この大田氏の過去のバンド遍歴に関する情報だが、実はつい最近まで公式サイトにははっきりとした記載がなかった*4

「過去にいくつかのバンドを経て」、とぼかされたような表現になっていたのだ。

確かにライヴサポートやコーラスレコーディングで参加したB'zやZARDといったミュージシャンに比べるとBAADの知名度は低いだろうが、「君が好きだと叫びたい」という曲のみに関して言えば現在30代前後の者にとっては懐かしいアニソンの一曲ではないだろうか。

言及しないのは、少し不自然な気がする。

とはいえ、新たなバンドで再デビューした際に過去のバンドに言及しない例は、少なくともこの事務所*5では珍しくない。

 

むしろ不自然なのは、徳永氏のプロフィールの方と言えなくもない。

長年の裏方を経てdoaでデビューしたことになっているが、実際にはデビュー経験がないわけでもないのだ。

95年にデビューしたPAMELAHにはTV出演時やPV等でパフォーマンスを行うのみとはいえ、メンバーとしてクレジットされていた。

96年にデビューしたTRADE LOVEZARDと同じようなソロユニットという扱いではあるが、楽曲提供等で参加していた。

また、02年にデビューした三枝夕夏 IN db三枝夕夏嬢のソロプロジェクトとしてデビューしたが、元々は「db」としてデビューする予定であり、そのメンバーに名を連ねていた。

上記の3組は裏方での参加ということで、経歴から除くのも100歩譲ってまあ分かるとしよう。

しかし98年にデビューしたXLというユニットでは、実質リーダーのような立ち位置の正式メンバーである。

実際、B'zのサポートメンバーとして活動し知名度を上げた時期とも重なるため、XL時代の徳永氏が好きというファンも存在する。

だが、徳永氏本人も過去のバンド歴はなかったものにしているような感じが、言葉の端々などから感じられる。

 

黒歴史、というものはミュージシャンに限らず様々な芸能人に存在する。

子供向けの特撮番組に出ていたことが黒歴史という俳優、アイドル時代を黒歴史にしている実力派女優、バラドル時代が黒歴史の本格派ミュージシャンなど、数え上げればきりがない。

 

しかし、たまに私は思うのだ。

 

確かに本人からしたら、なかったことにしたい黒歴史かもしれない。

けれど、その時期からファンだった者、応援していた者にとっては、その時代をなかったことにされるのはとても複雑な気分ではないだろうか。

少なくとも私はそうだ。

 

黒歴史時代に抱いた「好き」という気持ちは、どこへ持って行けばいいのだろう。

*1:ZARDの「永遠」、倉木麻衣の「Stand Up」等

*2:「ファミレス午前3時」、「I AM YOUR BABY」等

*3:「TODAY IS ANOTHER DAY」と「世界が終るまでは…

*4:私が確認した限り、昨年12月のリニューアル時に追加されたと思われる

*5:ビーイング

本業?副業?どっちも本業!

身も蓋もない話をすると、収入が一番多いものが本業だと思います。

 

 

 

昔からよく、女優や俳優が音楽活動をする*1ことに関しては「知名度を利用して云々……」とか「どちらも中途半端になったら」とか、何となく不評になってしまうことがある。

逆パターンも然りだ。*2

過去にも織田裕二福山雅治など、どっちが本業なの? と思わずにいられない存在はいた。

 

最近は、元々歌手や役者だった者がアニメの声優を務める、という件が増えているようだ。

その裏にはアイドルもののアニメが増えたこともあるのかもしれない。

 

先日、「声優一覧」としてTwitteで回って来た画像に対して、「小宮有沙を声優にカテゴライズするのは違和感」という声を特撮を他たちが挙げていた。

確かに彼女の名を知らしめた作品は、特命戦隊ゴーバスターズの宇佐美ヨーコ役であることは揺らぎない事実である。

しかしラブライブ!サンシャイン!!で一躍有名声優となったことで、役者であることを知らないファン層が増えたものと思われる。

 

他にも、宮野真守のように声優、歌手、ミュージカル俳優として活躍している者もいるし、加藤和樹は元々歌手兼役者だったが最近は声優の仕事も精力的に行っている。

 

こうなってくるともう、本業なんて何でもいいのでは、兼業でもいいのでは、と思えてくる。

 

 

こんな私も、実は昔は俳優が歌う、ということに強い抵抗があった時代がある。

反町隆史の「POISON」とかだろうか。

時代的には織田裕二の「Love Somebody」もそうかもしれない。

モデル出身、ダンサー出身、などと言うのもあまりいい気分ではなかった。

 

しかしそんな私に、転機が訪れる。

 

2004年、私の好きなdoaというバンドのデビューが決まった頃だ。

メンバーの自己紹介欄を見ていると、吉本氏のプロフィールに一目見ただけでは理解しがたい文字が並んでいた。

 

「プロレーシングドライバー

 

……は!?

レーサーが歌うの?

 

半信半疑で初ライヴを見に行ったが、歌の上手さと堂々たる振る舞い、三人のコーラスワークに引き込まれた。

生半可な気持ちで音楽を始めたわけではないということが、感じられた。

 

その後、あるライヴで吉本氏がこんなMCをした。

吉本氏「今後も、レースの合間に音楽をやって……」

メンバー「合間!?」

吉本氏「レースの日程は動かせませんから。別に音楽が片手間ってわけではないです」

 

更に同じライヴだったろうか、吉本氏はファンの前できっぱりとこう言い切った。

 

「どちらが副業とか言いたくない。僕にとってはどちらも本業!!」

 

本人がそう思っているなら、ファンがあれこれ言うことはもう何もないなと、安心して応援しようと決めた一件だった。

*1:最近だと西内まりやとか

*2:DAIGOなど

追悼ライヴという名の公開法事

追悼商法、という言葉を時折耳にする。

 

本日、今年の5月に行われたZARDのフィルムコンサート*1が映像化されることが発表された。

ZARDといえば07年にボーカルであり事実上唯一のメンバーであった坂井泉水*2が逝去した後もフィルムコンサートを開催したり、未発表音源をリリースしたりと事務所主導で行われ、そのたびにファンを中心に物議を醸してきた。

00年代といえばビーイングからヒット曲を飛ばせる新人が出なくなった頃であり、ZARDというファンの多いコンテンツから金を搾り取ろうとしているように見えても仕方がなかったと思う。

しかし、そのようなコンサートやリリースを喜ぶファンも確かに存在する。

遡れば美空ひばり尾崎豊ジョン・レノンなど、死後もリバイバルされたり関連CDがリリースされた例は数えきれないはずだ。

 

本当に、追悼ライヴは事務所とレコード会社が稼ぐためだけのものなのだろうか。

 

この問題を考える時、まず「こんなこと亡くなった本人は望んでいない」という意見が思い浮かぶ。

また、遺族の気持ち、ファンの気持ちといったものはよく代弁される。

しかし意外と、生前親交のあった仕事仲間=ミュージシャンやスタッフたちの存在は置き去りにしがちだったように思う。

 

今年はZARDのデビュー25周年に当たる年だったため、25周年特番というものがネットで放送された。

その中でレコーディングやライヴに携わるなど親交のあったミュージシャンのインタビューがあったのだが、そこに私の好きなdoaというバンドの徳永氏と大田氏*3も出演したため、私もその番組を見た。

そこで私はほぼ初めて、遺されたミュージシャンたちの想いを耳にしたように思う。

その時ふと、追悼ライヴというのはある種の公開法事のようなものなのかなと感じた。

 

 

少し話は脱線するが、ここで葬儀と法事の存在意義について考えてみたい。

まずはこの記事を読んでほしい。

 

meduusa.tv

 

葬式や法要を行うのは、亡くなった人を供養することだけが目的ではありませんよ!最近は葬式を行うことに疑問を投げかけ「葬式なんて金がかかるだけ、死んだ人間に金をかける必要なんて何処にあるの?」といった意見を耳にしますが・・・とんでもありません!

 

わたし達日本人は古来から、大切な人が亡くなった時に味わう辛さや苦しみを、しっかりと乗り越えることが出来るように、仏教の葬式や法要という儀式を通じて心の整理を付けてきたから前を向いて歩んでこれました。

 

私も最近、身近な者の死とそれに伴う葬儀、法要を体験したため、この記事にはおおむね同意だ。

むしろ、私の漠然と感じていたことを綺麗にまとめてあって驚いた。

葬儀や法要は確かに死者のためのものでもある。

しかし、やはり遺された者が心の整理をする儀式という側面も強いと思う。

気持ちの区切りをつける儀式がなければ、たぶんずっとずるずるその喪失感に引きずられて、それこそロス症状になってしまうんじゃないだろうか。

 

 

これを踏まえて、追悼ライヴに話を戻そう。

 

前述の通り、追悼ライヴは公開法事のようなものなのではないかと私は思う。

残された近しい人たちが思い出を曲に乗せて演奏するのをファンが聞く、そしてまた気持ちを整理する、そういう儀式なのではないか。

 

例の番組でのインタビューを見て、実は追悼ライブという名の公開法事がないと気持ちの整理を付けられないのは、ファンじゃなく近しいミュージシャン側なんじゃないかなと思った。

だから彼らは何度でも集まるし、何度でも演奏する。

きっとファンには、彼らの喪失感は計り知れない。

 

確かに事務所やレコード会社の思惑もあるだろう。

しかし、こうして皆で故人を偲ぶ機会があるということは、不幸中の幸いなのかもしれないとも思う。

 

 

関連CDのリリースに関してはまた別の話になるので、今回は触れない。

私は諸手を挙げて賛成はしないが、頭ごなしに否定もしないという立場であることだけ、書かせておいていただく。

*1:バンドは多数のアーティストによる生音である

*2:T.M.Revolutionのようにソロプロジェクトと認識される場合もある

*3:徳永氏は主に作編曲、ベース、コーラス、大田氏はコーラスとギターで参加

総選挙の愛とバランス

ラブライブ!サンシャイン!!のユニットであるAqouresのセンターを決める総選挙の投票が、本日締め切りを向かえる。

AKB48同様、次のシングル曲1回こっきりのセンターではあるが、自分の推しの晴れ姿を見るために張り切っているラブライバー諸氏もいる模様だ。

 

個人的な予想としては、前回は曜が1位を獲得したので、主人公である千歌と共に2年生トリオである梨子が本命と思っていた。

もしくはアニメでかなりの出番や美味しいシーンをいただけた花丸も、ファンを増やしたと思われるので有力候補だろう。

 

さて、先日発表された中間発表では、1位は堕天使善子ヨハネであった。

確かにアニメ開始以前からの人気も高く、またアニメでも印象的なシーンが多かったので、納得の結果である。

そして2位は、前回の総選挙では最下位に沈んだ果南という結果に。

果南はアニメでは出番が少なく、Aqoures加入回以外には大した見せ場もないままに終わってしまった。

そのため、以前からの果南推したちが奮起し、Twitter上では「松浦果南センター計画」なるハッシュタグが作られている。

また、アニメでの不遇を目にした他メンバー推しや箱推しライバーたちの同情票を集めているとの話もある。

アニメの放送が終わってしまった今、果南が総選挙で1位を獲るチャンスはこれが最初で最後かもしれない。*1

 

ちなみに私は善子ヨハネ推しだが、総選挙には一票も投じていない。

総選挙で1位を獲れなくとも、センターを飾る機会はあるだろうからだ。

実際、前述の果南も「未熟DREAMER」ではセンターを務めている。

また、μ'sもそうだがAqouresに関しても私は箱推しに近いので、誰が一番人気でも構わないという思いもある。

 

そして一番大きな理由が、バランスだ。

 

これはラブライブ!シリーズの総選挙に限らず、様々な選抜選挙にもついて回る。

例えばAKB48のような実在のアイドルグループの場合、純粋に「好き」の気持ちだけで投票できるかどうか。

メンバーの過去のセンター経験回数、歌唱力やダンスの上手さ、身長、MC能力など色々なことを考えて、総合的に一番「無難」なメンバーに投票してしまう。

例えばプロ野球のオールスターにしても、好きな選手ばかりに投票すると右打線ばかりに偏ってしまう、打撃力を重視しすぎて守備がボロボロ、一発屋ばかりで繋ぐ打撃ができるものがいない、ベテランばかりで疲労が心配……など考え出したらキリがない。

まあ、その辺りは監督推薦で上手く調節してくれているのだとは思うが。

 

話は若干脱線するが、私の好きなdoaというバンドは楽曲によってリードボーカルが変わるという珍しいバンドである。

そこで、次のシングルのセンター(=リードボーカル)を決めるという総選挙があったとしたら、と幾度か妄想したことがある。

個人的にはミュージシャンとしてはリーダーである徳永氏を敬愛しているが、彼がリードボーカルを務めた曲はほとんどがスローバラードなので、意外性が見込めない。

また、8thシングルの「心のリズム飛び散るバタフライ」から14thシングルの「旅立ちの歌」まで、事実上バンドのメインボーカルである吉本氏を差し置いて7曲連続でリードボーカルを務めている。*2

なのでおそらく私は、リードボーカルを務めたシングル曲が「コンビニマドンナ」*31曲のみである大田氏に投票するだろう。

リードボーカルを務めたシングル曲が1曲しかないためか、10周年を記念したベストアルバムに彼がリードボーカルを務めるアルバム曲*4の収録が追加決定されたのも、印象的だった。

 

 

それはさておき、μ'sの例を見てもラブライブ!の楽曲というものは曲調や歌詞、ジャケット、PVにいたるまで、センターを務めるメンバーの個性が色濃く反映されるものだと思われる。

前回の総選挙で1位を獲得した曜がセンターを務めた「恋になりたいAQUARIUM」も水泳が得意な曜らしく、水族館を舞台に人魚をモチーフとしたような楽曲になっていた。

果南や梨子、花丸らがセンターになった時、どのような個性を発揮してくれるのか非常に楽しみだ。

善子ヨハネの個性はギルキスで遺憾なく発揮されているので別にいいかな……。

*1:アニメ2期での待遇次第ではそうとも限らないが

*2:ほぼ全曲がスローバラードである

*3:配信限定シングル

*4:2nd AL収録「危険なカーブ」