「同性愛を気持ち悪いと言う権利」とは?
先日、この記事をニコニコニュースにて見かけた。
ニコニコニュースのコメント欄というのは、どういうわけかLGBTや同性愛者に対する批判や偏見が多い。
いわゆる“淫夢”ネタで盛り上がる“淫夢厨”が集まる場なので、当然といえば当然かもしれない。
(なお、私は“淫夢厨”は同性愛を玩具にして面白がるホモフォビアだと思っている)
この記事にもやはり、同性愛者に対して差別的なコメントをいくつも見かけた。
特に多かったのは、
「同性愛者を気持ち悪いと言う権利はないのか」
というものだった。
しかし我々は幼い頃から「他者を傷付けたり不快にさせたりしない」という社会のルールやモラルを学んでいるはずだ。
ニコニコ運営も、「表現の自由は他社を傷つけて良い権利ではない」とのガイドラインを示している
ところで、論点は少しずれるがこのような意見を見かけた。
自分がマイノリティでありその権利を認めてもらいたいのであれば、他社のあらゆる多様性も認めるべきではないか。
これは少し違うのではないか、と私は思う。
先の話を例とすれば、「同性愛である」ことがマイノリティであると同時に、「同性愛者を気持ち悪いと発言する人」もある種のマイノリティ、多様性である。
つまり、同性愛者の権利を求めるなら、同性愛者を気持ち悪いと発言する人の存在も認めろということになる。
何故、自分に対して差別的な者の権利を認めなければならないのだろう。
あるいは多様性の中には、自分の主義や主張、自分の中の正義と相反するものもある。
カルト宗教などその代表ではないだろうか。
タイムリーな話をすればトランプ新大統領の政策やその支持者も、ある種の多様性のひとつと言えると思う。
発言者がどのような意図でその発言をしたのかは分からないが、私には「マイノリティの権利を主張すること」と、「全ての多様性を認めること」はイコールであるとは思えない。
どちらにせよ、他人を傷付けることが権利になどなり得ないし、それを認める義務も義理もない。