メシマズ家庭に生まれて
私の趣味のひとつに、料理・お菓子作りというものがあった。
それを生かして食品関係のバイトに就いた。
今はバイト先の待遇などがストレスやプレッシャーになり職場に行けなくなったが、そのうち復帰したい気持ちはある。
さて、今回は何故料理が好きになったかについて話したいと思う。
その根底には、我が家がいわゆる「メシマズ家庭」だったことがあると思う。
母は料理が下手だ。
味付けの極端に濃い実家から味付けの極端に薄い我が家に嫁ぎ、「ちょうどいい味」というものを知らない。
そもそも、食べ物の味に興味がない。
「美味しい」か「美味しくない」かの二択で、しかも食べられるものは大抵「美味しい」方へと分類される。
つまり、自分が「美味しい」と思う味付けをするのだが、母より味覚に敏感な私にとっては、それが「微妙」だったり「美味しくない」だったりする。
献立を作るのも苦手で、メインがハンバーグ(洋食)、副食に餃子(中華)、そして味噌汁と白ご飯(和食)みたいなことがよくある。
せめて和風ハンバーグならなんとなく辻褄が合うのに……。
その母は私が幼い頃から働いていて帰りが遅く、食事を作ってくれるのは主に祖母と父だった。
祖母は前述の通り、極端に味付けが薄い。
野菜の煮物なら和風だしと醤油、以上。
そして肉を料理にほとんど使わない。
祖父母や曾祖母も同じ食卓を囲んでいたので、老人の好む魚と野菜中心のメニューだった。
幼い私には、給食に出てくる肉料理やお弁当に入っているウインナーとミートボールが、貴重な存在だった。
変りばえのしない薄味の野菜を、私は来る日も来る日も食べさせられた。
父は毎朝の味噌汁を作っていたのだが、とにかく変なアレンジをしたがる人だった。
前日の残りのきんぴらごぼうが入っていたり、ちくわやさつま揚げのようなおでんの具的なものが煮込まれていたり、弁当の材料に使うつもりだったレタスが勝手にぶち込まれていたり、エピソードにいは枚挙にいとまがない。
また、カレーを作る際も普通に作ればいいのに、こんにゃくとかバナナとかよく分からない具を何かと入れたがる。
一番面倒なのは、メシマズとはいえ食べられない不味さではない、ということだ。
美味しくないだけで、食べることはできる。
だから私はひたすら我慢して、これっぽっちも美味しくない食事を義務のように食べ続けた。
高校を卒業するまでの18年間だ。
大学生になった時、私は一人暮らしを始めた。
私は幸いなことに味覚がまともで、料理も得意だった。
幼い頃から祖母の手伝いをしていたおかげだと思う(味付け以外)
毎日毎日自分の食べたい料理を自分の食べたい味付けで作った。
店で食べた料理を、家に帰って自分なりに再現したりもした。
美味しかった。
それから数年、私は再び実家に戻った。
現在はまた母の美味しくも不味くもない料理を食べて暮らしている。
体調のいい時、食事の時間とバイトの時間が被らなかった時は私が料理することもある。
私のアドバイスで母の料理が少しずつ改善しているのが、不幸中の幸いだと思っている。