ギフテッドと生きづらさ
ギフテッド、という存在、あるいは言葉をご存知だろうか?
先天的に、平均よりも、顕著に高度な知的能力を持っている人のこと。または、先天的に、平均よりも、顕著に高度な知的能力を指す。
肉体的、精神的に繊細で敏感であったりする。幼少時から優れた論法や推論力を示し、文章または口頭で豊富な語彙を用いることができ、使う語彙に対して鋭敏である。おしゃべりまたは早口であったり、並外れた集中力、幅広い関心、創造性豊かで限りない知識欲、深い分析力、優れた記憶力を持ち、知的好奇心や独創性に富み、鋭い質問をしたり、一風変わった考えを持つこともある。深く速く理解し、短期間の復習で課題を修得でき、その内容を詳細に理解しており、原理や概念を示すことができる
コミュニケーション能力に優れ、道徳心、責任感、高い洞察力、共感的理解、問題解決能力などの高いリーダーシップ力を潜在能力の特徴として指摘されている
いわゆる「天才」のことである。
ただし、それは学習面だけではなく、正義感や責任感が強かったり、完璧主義者だったり、自分を社会のために役立てようと考えたりする、ある意味「理想的」な人間である。
しかしそのような人間は、実際の世界、特に出る杭は打たれる傾向のある日本では非常に生きづらさを感じることがある。
先程のWikipediaのページから、更に引用する。
しかし、ギフテッドの人間が気分的にうつ状態に陥ることが多いことは、過去から広く認知されている。死の終局、個人個人の根本的な存在、人生の意味や意味の欠如といった抽象的な心配ごとが引き金となり、他人より不安を感じやすいという性質もうつ状態に拍車をかけている
一般社会において人は「ふつう」でなければならないという多大な心理的負担がある。ギフテッドやタレンテッドの人間は、変わり者という烙印を押されたり、 いじめの対象になったりし、自己嫌悪や自己卑下する可能性もある。
ギフテッドの子供は自分の精神年齢(自分の思考水準)を標準にするが、身体年齢が追いつかないため完璧主義であることはなおさら辛い。頭では理解していても、人生経験が足りないために精神年齢並みの行動ができないという歯がゆさもある。また逆に、自己の能力の限界に達しないギフテッドは、多くのことが何でもそつなく、時に普通以上に達成できてしまうため、失敗すること自体に対する完璧主義が助長されてしまう。
私はギフテッドではないと思うが、実際これらに当てはまる部分がとても多い。
完璧主義、自己犠牲、リーダーシップ、正義感……そして融通が利かない。
どれも、私の生きづらさの原因だ。
例えば小学生の頃、クラスで係を決める時、積極的に手を挙げていた。
誰もやりたがらないような役割でも、進んで引き受けた。
環境問題やボランティアなどに興味を持ち、取り組んでいた。
校則違反や信号無視など、些細なルール違反も見逃せなかった。
中学になると友人を相手に、核開発や紛争や宗教対立などの話をして、話題が重いと困らせたこともある。
双極性障害は遺伝子によって決まる病気だが、発症するかどうかは本人の性格や環境によると言われている。
私は間違いなく、発症しやすい性格だったのだと思う。
そういえば、例のスピリチュアルに傾倒している気のある主治医は、以前私に対して「あなたは魂のレベルが高すぎる」だの、「生まれてくる時代が早すぎた」だのと言っていた。
もしかしたら主治医はギフテッドの可能性を暗に示していたのかもしれないと思いつつ、いやいやさすがに自分は天才なんかではないだろうとも思う。