檸檬栽培日記

オタク/腐女子/セクマイ/精神障害者/田舎在住の人間が好き勝手語ります。

当事者としての「障がい者」表記

私は障害者である。

医療機関で「双極性障害」と診断され、障害者手帳*1を持っている。

また、障害年金も受給されており、様々なサービスや支援も受けている。

 

さて、近年「障害者」を「障がい者」と呼び変える動きが進んでいる。

私がネット上で見る限り、障害者本人より、障害を持つ子どもの親、障害者の家族の声をよく目にする。

「害」という感じの意味に引っかかり、「私の子ども(もしくは家族)は害を与える存在ではない」といったような主張である。

 

なんか違うんだよなあ……と、障害者である私は思う。

 

そもそも、「障害」という熟語として意味があるわけで、熟語にした時と漢字一文字で意味合いが変わる漢字などその辺にごろごろしている。

例えば「助」という感じにも「長」という漢字にもマイナスイメージはないが、「助長」という熟語になった途端あまりよくない意味になってしまう。

「優」という漢字にしたって、「優しい」と「優れる」では全く意味合いが違う。

イメージのよくない漢字を平仮名にしたところで、熟語の持つ意味合いが伝わりにくくなるだけである。

 

もう一つ。

障害者の存在は「害」ではないと考えるのは、周りの人間の勝手なのでどうでもいい。

ただ、障害者本人にとって、自分の障害は「害」以外の何物でもない。

少なくとも私はそうだ。

自分の障害のせいで、一体いくつのものを諦めたのか数え上げればきりがない。

人生そのものに大きな「害」を与えたとすら思っている。

 

「障害」とはそもそも、妨げになるものの意味である。

本当に人生を妨げるものなんですよ。

障害がなければ普通に青春して、恋愛して、就職して、結婚して、子どももいて、普通の幸せを手にできていたかもしれない。*2

更には車の運転。

運転免許を取得した時はそれほど症状がひどくなかったので問題なかったが、数年前からずっとドクターストップがかかっており、立派なペーパーゴールドドライバーになってしまった。

その他、元々は読書家だったにもかかわらず、大学生の頃からすっかり集中力が続かなくなってしまい、本が読みたいのに読めないというジレンマに苦しみ続けている。

それこそ、数え上げればきりがない。

 

所詮、「障害」か「障がい」かなんてのは、言葉遊びに過ぎないのだと思う。

それよりも、障害者本人にとってどれだけ障害が様々なことの「妨げ」になっているか、そこに目を向けてもらいたいと切に願う。

*1:正確には「精神障害者保健福祉手帳」であるが、表紙の記載は「障害者手帳」である

*2:セクシャルマイノリティの問題もあるので、恋愛、結婚、子どもは分からないが