檸檬栽培日記

オタク/腐女子/セクマイ/精神障害者/田舎在住の人間が好き勝手語ります。

私はキティラーである

私には男女の概念が欠落しているが、女性的な部分と男性的な部分を持ち合わせている。

中でも特に女性っぽいと感じる趣味嗜好のひとつが、ハローキティだ。

ご当地キティをはじめとするさまざまなキティグッズを買い集めており、マスコットやぬいぐるみだけでなく、日用雑貨などもハローキティ

私はいわゆるキティラーである。

 

厳密に言えば、一番好きなサンリオキャラクターはチャーミーキティである。

ハローキティの飼い猫、というなんとも倒錯的な設定なのだが、擬人化されていないリアルな猫感がとても可愛い。

2004年頃に登場し、しばらく大々的にグッズ展開されていた。

しかし近年はチャーミーキティ単独のグッズは激減し、飼い主であるハローキティとのコラボが僅かに出るくらいである。

ちなみに毎年行われるサンリオの人気投票でも、チャーミーキティはギリギリ20位圏内くらいとなかなか微妙なポジションだ。

 

ところで、幼い頃の私はハローキティに全く興味がなかった。

 

小学生くらいの頃だろうか。

同級生の女子たちは、サンリオのキャラクターや少女漫画・アニメのヒロインなどのグッズをよく身に着けていた。

文房具などもキャラクターものである。

しかし私はといえば、特にキャラクターものにこだわりがなかった。

例外として記憶しているのが、魔法使いサリーの魔法のステッキ、そして秘密のアッコちゃんのコンパクトを親にねだり、買ってもらったことぐらいだろうか。

セーラームーンもちょうど世代だったのだが、未だにセーラームーンのグッズには興味がない。

 

私が少女っぽいものに興味を持ち始めたのは、中学生になった頃だった。

ピンクやフリルといったものを好み始めたのだが、同時に羽根や鎖といったものにも興味を持ち始めたので、どちらかというと中二病ゴスロリ趣味かもしれない。

しかし、私の持ち物にはピンクが増えた。

幼い頃からあえて避けていた色だったので、もしかしたらその反動だったのかなとも思う。

 

ハローキティのグッズとの出会いも、その頃だった。

当時、キティラーブームだったのでグッズが大量に店に出回っていた。

そのせいもあるのだろう、叔母にハローキティグッズをどっさりともらった。

叔母には娘がおらず、娘がいたらそういったものを買い与えたかったのだと話していたという。

私のことを娘のように可愛く思ってくれていたとも聞く。

叔母からプレゼントされた当時はそこまでキティグッズに興味がなく、実際に使うことは少なかった。

しかし全て大切に保管していた。

 

私が大学生になる少し前、叔母が亡くなった。

キティグッズは叔母の形見となった。

 

大学生になり、チャーミーキティに一目惚れしてグッズを買い集めるようになった。

サンリオショップにも行くようになり、ハローキティを目にする機会が増えた。

ライヴ等で遠征に行くことも増え、ご当地キティをお土産に買うようになった。

気付けばチャーミーキティだけではなく、ハローキティも好きになっていた。

 

サンリオピューロランドで結婚式を挙げることが夢だ。

同性婚も挙げることができるという。

パートナーは男性か女性か、それともそれ以外かはまだ分からない。

ウェディングドレスを着たいか、タキシードを着たいか、それもまだ分からない。

ただ、ハローキティに祝福してもらえる式が挙げられたらと思っている。

「同性愛を気持ち悪いと言う権利」とは?

先日、この記事をニコニコニュースにて見かけた。

 

www.bengo4.com

 

ニコニコニュースのコメント欄というのは、どういうわけかLGBTや同性愛者に対する批判や偏見が多い。

いわゆる“淫夢”ネタで盛り上がる“淫夢厨”が集まる場なので、当然といえば当然かもしれない。

(なお、私は“淫夢厨”は同性愛を玩具にして面白がるホモフォビアだと思っている)

この記事にもやはり、同性愛者に対して差別的なコメントをいくつも見かけた。

 

特に多かったのは、

「同性愛者を気持ち悪いと言う権利はないのか」

というものだった。

 

確かに、日本は憲法表現の自由を保障されている。

しかし我々は幼い頃から「他者を傷付けたり不快にさせたりしない」という社会のルールやモラルを学んでいるはずだ。

ニコニコ運営も、「表現の自由は他社を傷つけて良い権利ではない」とのガイドラインを示している

netatopi.jp

 

 

ところで、論点は少しずれるがこのような意見を見かけた。

 

自分がマイノリティでありその権利を認めてもらいたいのであれば、他社のあらゆる多様性も認めるべきではないか。

 

これは少し違うのではないか、と私は思う。

先の話を例とすれば、「同性愛である」ことがマイノリティであると同時に、「同性愛者を気持ち悪いと発言する人」もある種のマイノリティ、多様性である。

つまり、同性愛者の権利を求めるなら、同性愛者を気持ち悪いと発言する人の存在も認めろということになる。

何故、自分に対して差別的な者の権利を認めなければならないのだろう。

 

あるいは多様性の中には、自分の主義や主張、自分の中の正義と相反するものもある。

カルト宗教などその代表ではないだろうか。

イムリーな話をすればトランプ新大統領の政策やその支持者も、ある種の多様性のひとつと言えると思う。

 

発言者がどのような意図でその発言をしたのかは分からないが、私には「マイノリティの権利を主張すること」と、「全ての多様性を認めること」はイコールであるとは思えない。

 

 

どちらにせよ、他人を傷付けることが権利になどなり得ないし、それを認める義務も義理もない。

歌詞から見る男女の結婚観

今回比較したい2曲

女性側:「Dear Bride」(西野カナ

歌詞はこちら。

www.uta-net.com

 

楽曲購入はこちら

Dear Bride(通常盤)

Dear Bride(通常盤)

 

 

男性側:「Dear Friend」(DEEN

歌詞はこちら。

www.uta-net.com

 

楽曲購入はこちら。

Another Side Memories~Precious Best II~(通常盤)

Another Side Memories~Precious Best II~(通常盤)

 

 先月リリースされたC/W曲のBEST盤。

 

Celebrate

Celebrate

 

 本来はこちらの2曲目に収録。

 

比較するに至った経緯

その1.年末の音楽番組

最近の流行の音楽にはめっきり疎くなってしまった私だが、何組か気になるミュージシャンも出演するということで、年末に放送された長時間の音楽番組をいくつか見た。

放送時間が長く、好きなミュージシャンがいつ出るか分からないので結局番組を最初から最後まで見てしまうようなあれだ。

その番組の中で歌われた一曲が、前述の「Dear Bride」だった。

 

歌詞を聞いた瞬間、何とも言えない拒絶感が芽生えた。

 

最近の20代、もしくは中高生や大学生の女の子たちはこれに共感するのか……と、少し年齢が上の私は感じた。

同時に、性自認がはっきりと女性ではない私は、「女の子の気持ちの代弁者」とも言われる西野カナの歌詞に、「これが代表的な女性の意見なら、女の気持ちなんて分かりたくねえ!!」と思わずにはいられなかった。

 

その2.B面BESTとカウントダウンライヴ

私はここ数年、DEENのカウントダウンライヴで年を越すのが恒例となっている。

今回のライヴはシングルA面やヒット曲、ライヴの定番曲は一切やらず、普段日の当たらないような曲ばかりを集めた“マニアックナイト”と題され、それに先駆けていわゆるB面BESTがリリースされていた。

そのB面BEST収録曲からの選曲として披露されたのが、「Dear Friend」だった。

「Dear Bride」と微妙にタイトルも似ているし、どちらも友人の結婚を祝福する曲である。

 

それまでサビの歌詞くらいしか気に掛けていなかったが、歌詞の全体像を改めて認識して私は驚いた。

男性視点だと、こんなにも表現に差が出るものなのか。

もちろん、西野カナ氏が現在20代、「Dear Friend」の歌詞を手掛けた頃のDEENの池森氏が40代前半だったという年齢差もあるかもしれない。

けれど、男女の結婚観の違いを考察するには充分なサンプルではないかと思った。

 

それでは比較してみよう

男女の夢

女性の場合

たくさんの愛に包まれて

大きな夢を今

この場所で叶える君を

心から誇りに思うよ

どうやら「夢」=「結婚」ということらしい。

確かに小さな頃は「将来の夢はお嫁さん」という女の子は一定数いるし、年頃になれば結婚願望を抱くのも普通のことである。

しかし、「結婚」という夢を叶えるということは、友人として心から誇りに思うようなことなのだろうか。

例えば就きたい職業に就いた場合、本当の意味で「夢を叶えた」と言えるかもしれない。

けれど、結婚は当たり前のことながら目標ではあってもゴールではない。

言ってみれば、「婚姻届けを提出した」、「結婚式を挙げた」というだけのことで、相手がいてお金があればそれほど苦労することもなくできることなのではないだろうか。

昔流行った成田離婚のように新婚旅行直後に離婚するかもしれないし、離婚とまではいかなくとも仮面夫婦だったり、家内別居、完全な別居もありえる。

逆に考えてみると、友人として誇りに思えるような、大きな夢を叶えたといえるような結婚は、女性が専業主婦になることを夢見ていた場合、もしくは玉の輿に乗ることが夢だった場合くらいではないだろうか。

 

それにしても、女性の夢=結婚、女性の人生のゴール=結婚、という考え方は男尊女卑が横行していた前時代的ではないだろうか。

20代の恋する女性は結婚がゴールだと思うかもしれないが、今は女性も社会で羽ばたける時代だ。

結婚の他にも大きな夢を見ていいのではないだろうか。

 

男性の場合

思い出す 日に焼けてた 僕たちを

同じ夢追いかけては 泣いて笑った

今はもうあの日のように走れない

だけどまだ 夢追いかけている

 主人公と結婚する友人とは、おそらく学生時代に同じ夢を見て励まし合った仲なのだろう。

今はかつてのような若さや行動力はないけれど、それでもお互いに夢を追いかけ続けている、というシチュエーションかと思われる。

そしてその「夢」は、決して「結婚」ではない

さらに言うと、結婚式を挙げるということはそれなりに収入や生活が安定しているということではないだろうか。

つまり既に就職していて、「夢」というのは「仕事」のことでもないのかもしれない。

考えられるのは、例えば副業として可能な職業、年齢を問わず就ける職業、もしくは趣味の世界での目標、「世界に名声を響かせたい」など具体的ではないもの、そういう生涯をかけて追いかける夢のことのような気がする。

あるいは「結婚」や「仕事」も夢のひとつではあったが、それらを叶えるごとにまた新たな夢を見付けているのかもしれない。

 

「結婚」という一つの夢を叶えたら終わってしまう前述の女性の生き方より、生涯をかけて夢を追いかけるこの男性の生き方の方が、個人的には魅力的に思える。

 

男女の友情

女性の場合

強がりでも本当はそう泣き虫だから

私からも彼に一つ頼みたいこと

笑顔の日も涙の日も守ってあげてね

私の大事な友達だから 

 全体を通してムズムズが止まらない女性同士の友情を歌っているが、特にうわあと思ったのがここ。

完全に友人が自分の所有物みたいになっている。

友人に依存しているというか、依存しあっているのではないだろうか。

「守ってあげてね」というフレーズも、何だか上から目線で気持ちが悪い。

 

私は中高性の頃から、女性の閉鎖的な友人関係が苦手だった。

もっとさっぱりした付き合いで、特定の個人というよりたくさんのクラスメイトや同級生と仲良くしたかったし、連れションとかも理解できなかった。

この曲に歌われているのはそんな私の苦手な閉鎖的な関係の中でベタベタ慣れ合うような友情で、私には共感できなかった。

 

男性の場合

君の存在が何度も背中を押してくれて

ここまで来た気がするよ 

 「夢」に関する部分で紹介した歌詞の続きに当たる部分だが、互いに夢を追いかけあう二人は、いいライバル関係であったのかもしれないと思わせられるフレーズである。

お互いに高め合うことのできる友人関係というのは理想的だと思う。

慣れ合うわけではなく、友人の頑張る姿を見て自分も頑張ろうと思う、そんな刺激し合える関係なのではないだろうか。

 

私は女子校出身なので男性同士の友情についてはほとんど分からないのだが、例えば好きなミュージシャンや俳優さんを見ていると、このように刺激し合い、高め合う関係にある相手がいる場合が多い気がする。

芸能界の女性のいじめは陰湿だとも聞くし、女優や女性アイドルなどでそのような関係というのはあまり知らない。

 

まとめ

恋愛脳の女性は視野が狭くなってるのではないかなと感じざるを得ません。

私はこの二曲の歌詞だと「Dear Friend」の方に共感するし、生涯追いかける夢を持ち、互いに高め合える友人と付き合っていきたいと思う。

結婚観、夢の捉え方、友人観に関しては、私は男性寄りの考えに近いのかもしれない。

 

そしてやはり、西野カナ氏の歌詞が女性の代弁というのなら、私は女心なんてこれっぽっちも分かりたくないと思う。

ナベシャツ購入を検討

胸の大きさは、女性としてのステータスという。

しかし男女の概念がない私にとって、大きな胸は邪魔以外の何物でもない。

 

先日、10年近く前に買ったもののお腹周りがふくよかになったためサイズが合わなくなった服を、ダイエットしたおかげで再び着られるようになったので着て出かけるということがあった。

しかし、お腹周りはすっきりしたものの、胸のサイズはダイエット前からほとんど変わっていなかったのか、服を購入した時より大きくなってしまったのか、ものすごくきつくなっていた。

そのため、胸を無理矢理服に押し込め、ジッパーを締めることでなんとか着ることができた。

その状態で約1日過ごして感じたことを、書いてみたい。

 

胸を潰して過ごしてみての感想

揺れない

がっちり固定されているので、乳房が揺れない。

走ったり、飛び跳ねたりしても、全く揺れることがない。

乳房が揺れるというのはかなりの衝撃や痛みが伴うことなので、実に快適だった。

 

邪魔にならない

物理的に小さくなったことで、非常にすっきりした。

おかげで狭いところを通る時、うつぶせになった時、ほとんど邪魔にならない。

これもやはり快適だった。

 

足元が見やすい

これも前述の項目と被るのだが、下を見下ろした時に視界が広がる。

特に足元が見やすい。

おかげで落としものにも気付きやすいし、靴の紐がほどけてもすぐ分かるし、階段を下りる時も怖くない。

非常に快適だった。

 

胸への視線が気にならない

自意識過剰な部分もあるとは思うが、大きな胸へ遠慮のない視線を向けてくる人間というものは存在する。

実際はそうではなかったとしても、見られているのではないか、と気になることもある。

しかし、胸がさほど大きく見なければ視線を気にする必要もない。

変なナンパや痴漢に遭うこともない。

これもまた、快適だった。

 

胸を潰して過ごしてみての結論

総合的な感想

快適過ぎる。

これに尽きる。

 

ナベシャツに興味が湧く

縮胸手術や乳房の切除という選択肢もあるが、それらはやはり金銭的な問題や、肉体的な安全面の問題もある。

ということで、ナベシャツを着用するのはどうだろうと考えるようになった。

胸を小さくすることで、ブラウスや胸元が大きく開く服なども気にせず着ることができる。

和服も綺麗に着こなせる。

更に、男装する時もメンズの服が違和感なく着こなせることだろう。

 

しっかりしたものは1万円近くするようだが、2000~3000円の手ごろなものもあるようだ。

色々と探して検討してみたい。

 

 

胸つぶし ナベシャツ タンクトップ 3列6段フック&ゴム

胸つぶし ナベシャツ タンクトップ 3列6段フック&ゴム

 

 

不都合なホルモン

私には性別の概念が欠落しているが、身体的には女性だ。

当たり前だが乳房があるし、毎月生理も来る。

しかし、私はいわゆる「巨乳」の部類である。

 

巨乳の悩みやデメリットに関しては、色々な人が嘆いているので私はあえて言及するのは避ける。

この辺りの記事を参考にしてみてほしい。

 

welq.jp

eve-melancholy.jp

news.livedoor.com

 

私には性別の概念が欠落しているため、大きな胸などいらない、切除してしまいたい、と思うことが多い。

特に男性っぽい服装をしようとしても、ワイシャツやジャケットの胸の部分がきつくボタンが締まらない、サスペンダーが似合わない、などは毎回辟易する。

 

もう一点、私は生理が非常に重い。

PMSがそれほどひどいわけでも、失神するほどきついわけでもないが、体質的に血小板が少ないために毎回貧血になりそうなほどの出血がある。

腹痛や頭痛もそれなりだ。

なので、子宮や卵巣も取ってしまいたいと思ったことも何度もある。

 

しかし、乳房や子宮や卵巣を摘出したら、一生女性ホルモンを投与し続けないとならないという煩わしさを知り、断念した。

女性ホルモンは私が今も悩まされ続けている、自律神経にも関わるものであるからだ。

 

 

逆に私は母親譲りでとても毛深い。

脛毛だけでなく、腕にも黒々とした毛が生えている。

スカートを履く時はムダ毛処理が必要だ。

 

こちらは女性としてのファッションを楽しむ時に、ネックとなるものだ。

永久脱毛も考えてはみたが、金銭面を思うとやはり簡単に手を出せるものでもない。

 

 

胸が大きくなく、毛深くもない、中性的な特徴を持った身体に生まれたかったと、女性ホルモンと男性ホルモンの両方を恨むばかりである。