高齢者運転事故と田舎の交通事情
ここ最近、高齢者による運転事故のニュースが連日TVやネットを賑わせている。
認知症の診断を毎年義務付けろとか、年齢によって免許返納を検討しろとか色々な意見が出ているが、田舎暮らしの老人にとってはそれは現実的ではないのではないだろうか。
私は実際に田舎に住んでいるため、田舎の交通がどんなものかよく知っている。
その視点から、老人の交通手段について考えてみたい。
田舎の交通手段の現実
電車・路線バス
基本的には大きな町と町を繋ぐものであるので、市の中心部を貫いている。
沿線に住んでいて沿線に用事がなければ、なかなか使い勝手はよくない。
駅やバス停から徒歩で行ける範囲も限られているし、そもそも自宅から最寄りの駅や停留所まで徒歩20分や30分なんてことも珍しくない。
また、本数も少ない。
1時間に1本か2本はざらだ。
ラッシュ時の朝夕でも20分~30分間隔程度である。
また、バスは天気や交通状況により遅延することが多く、時刻表はほぼ当てにならない。
時刻表にあわせてバス停に到着したものの、30分以上待つなんてこともよくある。
タクシー
タクシー乗り場があるのは、大きな駅前くらいである。
基本的には電話で呼んで10分~30分待つことになる。
流しのタクシーはバスが通るような大通りくらいしか走っておらず、しかも大通りを走っているタクシーが空車である可能性は低い。
また、田舎は店や施設などが点在しているため、買い物にしても病院などにしても、ワンメーターで行ける場所は少ない。
なかなかの値段になってしまう。
介護タクシーや高齢者用のタクシー割引券もあるにはあるが、それを利用したとしてもバスや電車を利用するよりも割高になってしまう。
更に大きな荷物を積み込むには向かないため、畑仕事の際に農具を乗せて行くなどは難しいと思う。
コミュニティバス
いわゆる、市内循環バスのようなものだ。
ワンコインで市内の主要施設を巡るものが多いと思う。
基本的には市民病院や郵便局、市役所などの公的施設を結んでいる。
そのため、小さな個人医院、スーパーへの買い物、知人宅への訪問、畑に行くなどには向かない。
私の住んでいる市では上記のような理由がネックとなったのか利用者が少なく、最初は内回りと外回りがあったが現在は一方通行のみになってしまった。
正に行きはよいよい帰りはこわい、状態だ。
更に本数も大幅に減り、現在は1時間に1本か2本しか走っていない。
いつ乗っても乗客が3~5人くらいしかいないのも、採算が取れているのか気になるところだ。
自転車、三輪車
乗っている高齢者を見かけるが、長距離を移動するには体力面の問題もあり難しいと思う。
また、自転車で買い物に行くと、たくさんの荷物をかごに載せて持って帰ることになり、バランスが悪く転倒の危険もある。
老人用電動三輪車もそこまで多くの荷物を載せることができるわけではないので、農作業に行くにしても出来ることには限度があると思われる。
体力面、安全面、時間を考えると、相当の長距離移動でない限りは徒歩とあまり変わりがないと思われる。
結論
やはり、自家用車に頼らざるを得ない、というのが現実だ。
私の祖父の場合
私の母方の祖父は、今年の5月に88歳で亡くなった。
4月に前触れなく脳梗塞で倒れ、そのまま帰らぬ人となったのだが、倒れる前日まで自家用車を運転していた。
ちなみに、無事故無違反であった。
自家用車で行く先は、主に畑だった。
農具や肥料、苗、そして収穫した野菜などを多く積んでいた。
また、家族の送迎もよく行っていた。
足の悪い祖母を病院に連れて行くのが日課だった。
都会の大学に進学した孫が帰省した際は、新幹線の停まる駅まで迎えに行ったりもしていた。
私の職場が祖父の畑に近かったため、仕事帰りにバス停(30分以上待っても来ないことが多い)でバスを待っている私を見付けて、家まで送ってくれたこともよくある。
更に私は運転にはドクターストップがかかっておりペーパードライバーのため、やはり駅までの送迎を頼んだことなどもここ数年だけでも何度か記憶にある。
このように、高齢ドライバーにとって自家用車の運転は日常から切り離せないものなのだ。
高齢者の運転事故を防ぐための提案
しかし、やはり認知症や判断力の低下など、加齢に伴い安全運転が難しくなるのも事実だ。
いくら生活から切り離せないとはいえ、事故が起きてしまってはやはり規制せざるを得ないのではないだろうか。
では、高齢者が自家用車の運転をやめても日常生活に支障が出ないためには、どうすればよいか。
現実的ではないものもあるが、いくつか考えてみた。
老人用電動三輪車補助金
運転免許証を返納した者に対して、補助金を出すというのはどうだろう。
老人用電動三輪車は大体20万~30万くらいなので、自転車などと比べるとなかなか手が出しづらい値段かもしれない。
財源をどうするかという問題は残るが、もう少し購入しやすくするのはありだと思う。
もちろん、先に述べたように、老人用三輪車は長距離の移動や大量の荷物の運搬には向かない。
しかし近所のスーパーなどへの買い物や病院の診療、軽い農作業くらいなら充分だと思う。
家族との同居
子ども、もしくは孫に車で送迎してもらうことで、自分で運転する必要はあまりなくなるのではないだろうか。
もちろん、出かけたい時に常に家族が在宅しているとは限らないが、そういう時のみ介護タクシーなどを使うことで交通費を抑えることは出来ると思う。
これが実現すれば、高齢者の運転事故だけでなく、様々な問題が解決することになる。
などなど。
まあ、そんなことができるならみんなしていると思う。
親や舅姑と折り合いが悪いとか、仕事がないとか、親と同居せず都会で暮らす理由はそれぞれあるだろう。
つまり、何とかすべきは結局、東京一極集中なのかなあと思う。
夢から覚めない夢
夢から覚めない夢を見たことがあるだろうか?
もしくは、夢の中で夢を見たことがあるだろうか?
夢から目覚めた、と思ったらいまだに夢の中だったという経験はないだろうか?
夢占いでは、「夢を見る夢」というものは「非常に疲れている」もしくは「ストレスが溜まっている」状態を表すらしい。
私はこのような夢をしばしば見る。
また、金縛り状態に遭うこともよくある。
ちなみに金縛りに遭うのも、心身が疲れている時やぐっすり眠れていない時によく起きることだ。
要するに、夢から覚めない夢は私のうつ症状からくる、一種の睡眠障害と思われる。
ちなみに私は相当な量の眠剤を服用しなければ眠りに就けなかったり、眠りが浅く短時間で目が覚めてしまったり、いつもの布団以外の場所ではろくに眠れないなどの不眠症状がある。
不眠が続くと、反動で過眠状態になることもある。
夢から覚めない夢、というのはどのようなものなのか。
実際に経験したことがなければ、その苦しさは分かりづらいかもしれない。
昨日、私が見た夢を元に体験談を書いてみたいと思う。
私が寝ていたのは現在の寝室ではなく、幼少期に眠っていた部屋のようだった。
隣の部屋には家族がいるような気配があった。
私は目が覚めるが、身体が動かせない。
「せーの!」と気合を入れて起き上がり、家族のいる隣室に歩くが、気付くと意識は布団の中に戻っていた。
何度か同じことを繰り返す。
しかし、何度繰り返しても私の身体は布団の中から動かない。
諦めて、私はもう一度眠ることにした。
次に目が覚めたのは、尿意を感じたからだ。
私は身体を起こし、トイレに向かう。
衣服を脱いで便座に座ったところで、私はふと思う。
「私は本当に目覚めているのだろうか? これは現実だろうか?」と。
私は便器や壁を叩き、感触がリアルであることを確認する。
自分の頬ををつねったり叩いたりして、自分が起きていることを確認する。
しかし次の瞬間、意識は布団の中に戻る。
やはり、全ては夢の中の出来事だった。
隣室にはやはり家族がいるようで、私は何とか気付いてもらおうと大声で叫ぶ。
手足をバタバタさせたり、枕元のものを投げたりして、大きな音を出す。
しかし誰も気付かない。
やはり全て、夢の中の出来事だからだ。
そんなことが何度か続き、私はぐったりした状態で目覚めた。
夢の中で私がもがいていた部屋も布団も、全て現実のものとは違っていたし、家族を呼ぶための行為も全て夢の中での出来事だった。
尿意だけは本当だったが、漏らしそうなほど限界ギリギリまで我慢した状態ではなかった。
こんなことが数ヶ月に一度、多いと月に何度か、あるいは週に何度か起きる。
対策としてはやはり、思い切ってもう一度眠ってしまうのが一番のようだ。
しかし何故か、夢の中の私はそれを学習せず、夢の中と分かっていながらなんとか起きようともがき続けるのだ……。
不都合なホルモン
私には性別の概念が欠落しているが、身体的には女性だ。
当たり前だが乳房があるし、毎月生理も来る。
しかし、私はいわゆる「巨乳」の部類である。
巨乳の悩みやデメリットに関しては、色々な人が嘆いているので私はあえて言及するのは避ける。
この辺りの記事を参考にしてみてほしい。
私には性別の概念が欠落しているため、大きな胸などいらない、切除してしまいたい、と思うことが多い。
特に男性っぽい服装をしようとしても、ワイシャツやジャケットの胸の部分がきつくボタンが締まらない、サスペンダーが似合わない、などは毎回辟易する。
もう一点、私は生理が非常に重い。
PMSがそれほどひどいわけでも、失神するほどきついわけでもないが、体質的に血小板が少ないために毎回貧血になりそうなほどの出血がある。
腹痛や頭痛もそれなりだ。
なので、子宮や卵巣も取ってしまいたいと思ったことも何度もある。
しかし、乳房や子宮や卵巣を摘出したら、一生女性ホルモンを投与し続けないとならないという煩わしさを知り、断念した。
女性ホルモンは私が今も悩まされ続けている、自律神経にも関わるものであるからだ。
逆に私は母親譲りでとても毛深い。
脛毛だけでなく、腕にも黒々とした毛が生えている。
スカートを履く時はムダ毛処理が必要だ。
こちらは女性としてのファッションを楽しむ時に、ネックとなるものだ。
永久脱毛も考えてはみたが、金銭面を思うとやはり簡単に手を出せるものでもない。
胸が大きくなく、毛深くもない、中性的な特徴を持った身体に生まれたかったと、女性ホルモンと男性ホルモンの両方を恨むばかりである。
1ヶ月半ぶりに職場に行った結果
心身の調子が悪くなってついに外に出られなくなった結果、私は9月の半ば辺りから職場に長期休暇をいただいていた。
最初は2週間程度のつもりだったのだが、体調が全く回復せず、ずるずると1ヶ月半も経ってしまった。
食欲が全くなく、この1ヶ月半で体重は5kg落ちていた。
外出もほとんどできず、短時間でも歩くと疲れるようになっていた。
今日も本来は、今後について、あとどれくらい休暇が必要か、職場復帰の目途はどれくらいか、というようなことを話し合う予定だった。
しかし、予定の時間の2時間ほど前に経営者から電話があった。
「今日、3時間くらい仕事に出られない?」
は?
……って、思いますよね。
よくよく聞くと、バイトの子が二人も風邪でダウンしたとのこと。
短時間でもいいから手伝ってくれる人手を探していたところ、私がちょうど職場に行く約束をしていたのでそのまま仕事に出てほしい、ということだった。
超零細企業なので、二人も欠員が出てしまうと職場は回らなくなってしまう。
他のスタッフへのしわ寄せも私は痛いほど分かっていたので、とりあえず了承することにした。
経営者は、今日はあまり忙しくないと言っていたが、実際は結構忙しく、3時間経つころには疲労困憊だった。
最終的には、帰宅直前に貧血を起こしてしまい、数分間蹲って動けなくなった。
……でしょうね。
体調が万全じゃないのに無理して復帰を焦るものではない。
とはいえ、結局経営者に押し切られる形で今後は週1からシフトを入れられ徐々に復帰するように予定されたのだった。
公式が「BL要素」と明言するマズさ
「原作はいろんな愛にあふれている。師弟愛、家族愛、男女の愛、そしてボーイズラブ。いろんなラブストーリーが詰まっているので、1年間、日本のみなさんに、西郷どんに惚れてもらって元気になってもらいたい」
再来年の大河に関するこの報道に、ネット上の大河ファン、腐女子、セクシャルマイノリティたちがざわついた。
私は大河ドラマを熱心に見ていた時期もあるし、腐女子でもあるのでそういう視点で妄想したこともあるし、セクシャルマイノリティの立場でもある。
それぞれの立場から、この発言のまずさを論じてみたい。
大河ファンとして
そんなものは求めていない
これに尽きる。
大河ドラマというからには、史実をベースに重厚なドラマが見たいのだ。
最近は安っぽいラブコメのような人間ドラマにばかり時間を割き、合戦シーンが一瞬で終わる、もしくはナレーションのみ、ということも珍しくない。
大河ファンの求めるものと製作者が描きたいもののズレが徐々に大きくなっている気がする。
当時「ボーイズラブ」という言葉はなかった
師弟愛、家族の愛、男女の愛、というのならばそこで「ボーイズラブ」ではなく「同性愛」や「男色」、「衆道」という言葉を使うべきではないだろうか。
この表現に関しては、セクシャルマイノリティとしての立場からも非常にもやっとするので、詳しくは後述する。
腐女子として
公式に前面に押し出されると冷める
腐女子は「行間」を読むことが非常に得意だし好きだ。
画面で描かれていない「間」のシーンで、実はこういうことがあったのではないか、ああいう会話があったのではないか、そういうことを妄想する。
前のシーンでは素っ気ない関係だった二人が、次のシーンでは少し親密になっている。
それくらいの匂わされる程度の変化で、色々と妄想する人種なのだ。
もちろん、あからさまなBL描写に喜ぶ人たちもいる。
しかしそれは比較的ライトな腐女子ではないだろうか。
長年こじらせたヘビーな腐女子であればあるほど、あからさまな描写は嫌悪する。
公式に「BL描写入れます」とか言われると、「こういうのが好きなんでしょ? さあ興奮して! 妄想して!」と上から目線で言われているような気分になる。
腐女子という存在が軽く扱われているような気しかしない。
セクシャルマイノリティとして
「同性愛」を「BL」と言い換えるな
私は「BL要素あり」という報道には、「あー、また、『同性愛』をポルノ用語扱いして、『BL』に言い換えてるのかー。いいかげんにしてくれ」と思いました。当時の薩摩隼人は、衆道、普通だからなっ!#eiga https://t.co/I2PV4bzPKZ @eigacomさんから
— 森奈津子 (@MORI_Natsuko) 2016年11月2日
根本的に、衆道とBLは似て非なるものであると思う
— 片山愁 (@shu_kata) 2016年11月2日
呟いている方々がセクシャルマイノリティかどうかは確認していないが、要はこういうことだ。
テレビ的に「ゲイ」を「オネエ」と言い換えるのと同じあれである。
「同性愛」や「ゲイ」という言葉が言葉狩りのように言い換えられる国に、LGBT差別を本気でなくす気はあるのだろうか。
そして、「同性愛」と「ボーイズラブ」は明確に別物である。
「同性愛」は現実のもの、創作のもの、全てを包括する物であるが、「ボーイズラブ」は腐女子に消費される創作物のことしか指さない。
「BLはファンタジー」という有名な言葉もあるが、それくらいボーイズラブは現実世界から切り離されたものなのだ。
結論
来年の大河ドラマが始まる前にもうプチ炎上してしまった再来年の大河ドラマ。
大河ドラマファン、腐女子、セクシャルマイノリティにそっぽを向かれて勝機はあるのか。
それとも、あの発言に関する謝罪なり弁明なりが行われるのだろうか。